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1:一番:
2023/05/01 (Mon) 04:24:58
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「明烏ど阿呆日記」のブログから
(前略)
「これは昭和29年6月24日、日光殿の『大光明如来』の御神体は御尊影にお取り替えとなり、 前の御簾(おみす)下まで下げられる。
御神体が御尊影に替わった後 、箱根夏季事務所において、教団幹部と顧問の松井誠勲との間で御尊影のご奉斎について、 喧々諤々(けん々がく々)の論議が戦わされた。
(中略)(メシヤ降誕仮祝典)祭典後、日光殿幹部室 (後部和室)において、 会長会議が開かれる。
以下はその時の本部の役員より説明された内容である。
①『明主様』を『メシヤ様』と申し上げることになった。
②『メシヤ様』は最高神であらせられるから、 今後最高の敬語を使用しなければならない。
③朝夕、祝詞を奉唱する時は、『天照皇(すめ)大御神、守り給え、幸倍賜へ』と唱和させていただく。
④御神体は、お写真(御尊影)にかわる。(後略)
(昭和29年6月22日『 メシヤ様は日光殿の「メシヤ観音」の御神体を私の写真に替えよ』と仰せられる。(後略)」
ここで 匿名Xさんが投稿した。お写真に、替える前の御神体、「絵姿」というのは、ここはお文字ではないのか。
という疑問。ここの記録で書いてあるのが、6月24日、日光殿の御神体が『大光明如来』、お文字ですね。
2日前6月22日の御神体は『絵姿』『メシヤ観音』であると書いてありますね。その時に応じて両方採用されていたんでしょうね。)
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37:一番:
2023/08/02 (Wed) 01:51:45
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6月の杉原理事長が天照皇大神のお話をされましたが、その事を岡田茂吉全集の編纂をされた平本伸一先生が書かれてます。抜粋、
「 昭和6年6月15日、千葉県鋸山山頂において霊界の「夜昼転換」の啓示を受けられた。
この時はその啓示を受けられただけではなく、霊界の『夜昼転換』によって霊界に出現された『太陽神』である 『天照皇大御神の御神霊』を明主様がお迎えに行かれたという神事行であった。
この頃、明主様のご住居は大正12年5月に移転された東京大森の八景園にあり、そこを「松風荘」(2階建)と名づけ、家族と共に住まわれ、1階を大本の分院として使われていた。
昭和7年2月15日 吉川という 大本信者の青年が明主様のご神業を阻止しようと、短刀を持って松風荘へ脅迫に来た事件があり、明主様はその以前から大本に対しては、色々と気遣いをされながら浄霊法の研究を進めておられた。
したがって 1階の大森分院では治療はしておられなかったのであるが、 その年(昭和7年)の9月1日を期して、大森分院で治療始められることとなった。
昭和9年5月1日を期して、「応神堂」を開設され、家族と離れてお一人で移られた。
玄関に「岡田式神霊指圧療法」と書いた看板を掲げ、浄霊法を公開されるとともに、開業ビラを配られたのである。
ご神体は*『天照皇大神』の御書 であった。」
とあります。
これは私は世界救世教いづのめ教団故永峰先生から明主様の『天照皇大神』の御書が、箱根にあるとお聞きしてました。
これがいずれ御神体になると思っていたとおっしゃっていました。
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36:一番:
2023/07/25 (Tue) 11:07:43
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『天照皇大神様』をメシヤ降誕仮祝典で、ご神名をお上げするの説明が、
「みろく塔」から始まるは、時系列を見ていたら理解できます。
しかし、
ここまで 御教えを読んで汲み取る(やよいちゃんが観音様を産んで御霊を安置)までの解釈は難しい。
このように救世学院で専従者は学ぶんですかね。まず
離脱教団はここまての御教えはない。(今は離脱教団でも岡田茂吉全集が配布されている所は学んでいる。秀明は断ったと聞いてますね。全集はいらないと、)
だから
秀明の勉強会で聞いたことないですね。
「 みろく塔」は。
秀明は
会主様が選んだ御教え100篇
「聖教書」を基準に、繰り返し繰り返し学んでいく。(一部 御教えは古い 秀明紙に会主様のお取り上げで載ってますが今はネットで調べることはできますが、見る人は一部でしょう)
他の御教えは受け入れない。
(新体制になって出された「観音行」これは今、制限されて 一般信者は読めません。伊都能売(中庸)が書いてある。これは ない筈の岡田茂吉全集から取り入れたと思いますが、
ちぐはぐしてますね。)
これでは必ず限界が来る。
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35:一番:
2023/07/24 (Mon) 23:54:53
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匿名xさん紹介の動画を拝見しました。
明主様のお写真、昭和16年、みろく塔の前に青銅の観音様が写った写真が、
ありましたね。
私はそれが見たかったんですが、何か不思議ですね。
杉原理事長が言われた観音様の御霊を(みろく塔)ご安置というのは、
あるのかもしれないと解釈しました。
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34:匿名X
:
2023/07/24 (Mon) 20:47:07
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みろく塔に関する動画です↓
https://www.youtube.com/watch?v=x5B9T4K72Cg
izunome movieより
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33:一番:
2023/07/24 (Mon) 19:17:07
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【「みろく塔」夜昼転換の象徴】
『夜昼転換』 それは教祖明主様が昭和6年6月15日鋸山山頂で、”霊界において夜昼転換が始まった“との神啓を感得された。
この神事は本教の原点である。
これより先、昭和5年2月8日、明主様は大使命の予感をされ、
『今年の六月、吾に大使命下る予感の頻(しき)りに来るも』
と詠まれた。
この日に備え、近くの石屋で十三重塔を作らせ、大森の松風荘の庭の一隅に建立された。
その塔を「みろく塔」と、命名されたのである。
神様より示され6月1日を迎えたのである。
【昭和5年5月5日の神秘】
6月1日は旧暦の5月 昭和5年5月5日にあたり、かつ、その干支は午(うま)の年、午の月、午の日にあたる。
午は“ゴ”で“五”であり、五は火に通じる。すべてが”ゴ“になる神秘を明主様は見い出され、神事の時刻も午になる正午にされたのである。
明主様は正午「みろく塔」の前に大本教宣伝使の正装で威儀を正して立たれ神事を行われた。
みろく塔は 京都、平安郷に仮奉安された。(平成4年8月18日現在)
(1992年、平成4年12月「いづのめ誌」第15号から)
世界救世教 いづのめ教団としては、やよいちゃんを通した観音様の御霊(みろく塔)の御安置の解釈はしてませんね。
理事長はおっしゃってましたが、ご自分の解釈であると。
しかし、この解釈は私も共感します。
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32:一番:
2023/07/24 (Mon) 11:21:52
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1924年(大正13年 )岡田茂吉42歳、
秋、地図製作所 野口秀昌が来訪、 大本教について質問、一時的に野口の霊眼が開け
*岡田の側に観世音菩薩を霊視、
その後不思議な現象が相次いで身近に起こる。
1926年(大正15年、昭和1年)
岡田茂吉44歳、神がかりにより 啓示を受ける。
啓示は3ヶ月に渡り、便箋400枚になる。内容は50万年前から、7000年前の日本の創世記、人類史の過去から未来、 自身の過去、未来にわたる運命、未来の予言は満州事変や太平洋戦争、 戦後の世界情勢の中に現実となって現れる。
この頃大本教の「鎮魂帰神法」を用いて 、病気を癒す。
以来、病を癒す方法の研究を続ける。
1927年(昭和2年) 岡田茂吉45歳、出口王仁三郎より、「あなたは今後 病気治しをすれば、何ほどでも治すことができる。大いにやりなさい。」と言われる。
1929年(昭和4年)岡田茂吉47歳、
4月16日、京都亀岡穴太在の小幡神社に参拝、金龍神についての神示を受ける。
4月21日、琵琶湖に数千年潜んでいた金龍が昇天、これを阻止する赤龍との戦いで暴風雨起こる。
1930年(昭和5年)岡田茂吉48歳、
1月7日、出口王仁三郎の「霊界物語」を読み始める。
*2月8日 6月に大使命くるとの予感、
*6月1日の「みろく塔」の神事となる。
3月26日 愛信会本部にてフーチで書かれた「浄、岡田茂吉」の書をもらう。
その時『私は浄霊というように、浄ということが大事な仕事ですから、もうその時に神様の方で決まっていた訳です。』と後に語る。
*5月9日、十三重の石塔を購入。
*6月1日 松風荘の庭内に建立してあった石塔を「みろく塔」と命名し、その前で正午に大本教宣伝使の正装で神事を行う。( 旧暦5月5日)
*12月6日 大森馬込町に住む 信者 桜木の娘、やよいの腹痛を治療(浄霊)病状は出産の様相を呈する。
この出来事を観世音菩薩がこの世に誕生した神事と感得。
*1931年(昭和6年)岡田茂吉49歳、
3月25日、信者から献納された青銅制観音世音菩薩像を「みろく塔」の前に安置。
2月1日、岡田商店店員、福本金造、長島孝に、店営業権を譲渡し 神業専一に進む身となる。
6月15日午前3時、鋸山山頂目指して出発、昇る朝日に向かって、「天津祝詞」を奏上、
*霊界における『夜昼転換』の啓示を受ける。
日本寺本堂前にて記念撮影し、呑海桜で歌会を開く。那古観音、舟形観音に参詣し帰る。
この頃、観音像を多数描くようになる。
この年大幅の*『日の出観音』画像 (昭和10年の立教に際し。ご神体として奉斎)を揮毫。
(ここをみたら理事長が言われた
『みろく塔』に(やよいちゃんを通し産まれた)観音様の御霊を明主様はご安置された)が理解出来ます。)
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31:一番:
2023/07/22 (Sat) 11:48:04
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何故、天照皇大神のお誕生日が、6月15日なのか。
これは明主様が『夜昼転換』の啓示を受けられた日だから
これは 推測ですが。
そしてこの時、天上から天照皇大御神が降られ、岩戸が開いた。
昼の世界に変わった。
そしてその日が6月15日、
それから留置所で昭和25年 明主様のお腹に主神が宿られご一体となられる。
この時はメシヤ教になる頃ですから、一つ法難は、メシヤ教を産みだす、産みの苦しみのご浄化ではなかったかと、解釈しているんですが。
天国会と、ミロク会が、対立していた経、緯が結ばれる。
伊都能売ですね。
そして メシヤ降誕仮祝典で、その天照皇大御神様が明主様の中で御一体となりメシヤになられ、 これがメシヤ降誕の型になる。
これでつながりますね。
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30:一番:
2023/07/20 (Thu) 11:22:27
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みろく塔と富士登山 これもこれから 考察するところでしょうね。
桜木やよい 桜はインドで弥生も仏教を表すから観音菩薩になると。
また
みろく塔の、大本教宣伝使のお
写真は残ってますよね。
妙な格好だなと思ってたんですが、申し訳ないですが、
それと『天照皇大神様』と「天照大神」は違う。
これを考察していたら、 これはご夫婦になる。
そう考えたら『天照天皇』 という お姿が見えてきますよね。
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29:minoru
:
2023/07/20 (Thu) 10:46:44
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桜木弥生というお名前にも深い意味があるようですね。
全集・著述篇・第九巻のp354で詳しく説かれています。
そして、ミロク塔の建立から約1ヶ月後に富士登山に行かれていますね。
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28:一番:
2023/07/20 (Thu) 08:40:23
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昭和6年6月15日 地上天国祭がありますが、その日は明主様が『夜昼転換』を神様から啓示を受けられたということで、 秀明会も東天に向かって 祝詞を奏上をします。
これはご神体に向かってではないと説明がありますが、
本当にその意味を知る人は少ないでしょう。 明主様は昭和6年6月15日 『天照皇大神様』をお出迎えになられ、当時はまだ神様がお鎮まり なる所がなかったので、神様の命令が下り、「日枝(ひえ)神社」にお鎮まりいただいたとありますね。
そして 昭和25年、庵原警察留置所で明主様のお腹に降られるわけですね。
御一体になられた。
その始まりが昭和6年6月15日、
そして 昭和29年にメシヤ降誕として、『 天照皇大御神』と明主様に祝詞を奏上した。
この『天照皇大神様』と伊勢神宮の「天照大神」は別の存在であるというのが分かります。
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27:一番:
2023/07/20 (Thu) 02:57:05
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1930年5月9日、十三重の石塔を購入、
6月に大使命下ると予感 、6月1日のみろく塔の神事となる。6月1日 松風荘の庭内に建立してあった 石塔を「みろく塔」と命名し、 その前で正午に大本教宣伝使の正装で神事を行う。
12月6日 大森馬込町に住む 信者 桜木の娘 やよいの腹痛を治療(浄霊) 、病状は出産の様相を呈する。 この出来事を 観世音菩薩がこの世に誕生した神事と感得。
(全集、岡田茂吉年譜)
(御教え)
『昭和6年6月15日、『天照皇大御神』は出現になられる、 岩戸開きがあるのであります。』
『昭和9年6月15日に私は ご神命により、 麹町の山王様 すなわち 日枝神社へ 30何人のお供を連れて、ご参拝しまして、 天照大神様をご鎮祭、一同で祝詞を奏上をいたしました。
これは 日枝神社へ『天照皇大御神様』がお鎮まりになられたのでありますが、霊的なことでありますから 神宮すら知らんことであります。』
(観音講座、第六講座)
昭和25年5月29日未明 より 再び 教団 関係施設の捜査、動行を求められ 国家地方警察静岡県庵原地区警察に留置される。
6月15日、 朝方、腹中の光の玉に最高神の魂の天下りを知る。 自らが神と一体化する神人合一の立場に立ったと自覚、 この日静岡の刑務所に移送。
(全集年譜)
昭和29年の立春は旧暦の正月と重なり、節分の日には 尾形光琳の紅白梅図屏風、続いて立春には『閻魔大王』の 珍しい絵をお目にかけ、さっそくお買い上げになりました。
(御教え)
『これは神様の型の一つで、長い間 押し込められ、陰からお守りくださっていた尊い最高の神様が、いよいよ 時が来て この現界にお出ましになること。
そして善悪を立てわけられて、 夜の世界の諸々の間違いを正し、汚れを浄化され、善人が栄え喜ぶ水晶世界をお造りになる。その日の最初の日が、この昭和29年の立春である。』
(秀明、光、明主様の生涯)
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26:一番:
2023/07/19 (Wed) 23:56:00
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すみません。所々録音したのですが音が悪い。
初めの観世音誕生は記憶で書きました、
ここからは録音を一部書きますが、聞き取りにくいところは省いてます。
(続き)
「(一回目、産まれた観世音の御神霊)どこかに移してあったと思うんですね、そこでミロク塔はそういう役割だった(ミロク塔に御神霊を安置された)と思います。同じく日枝神社も天照大御神様をここにお迎えされた。
2回目は庵原刑務所ですね、そして3回目は 昭和29年に閻魔大王の絵を入手された。
明主様は昭和10年から、ご自分の側に国常立之尊様がおられ、何でも教えてもらえた。
ところが昭和25年の庵原刑務所の神事(最高のご神霊がお腹に宿られる)からは神人合一になられ、神様に伺うことをされなくなった。
そして 昭和29年に閻魔大王の絵を入手される。
閻魔様は国常立之尊で、国常立之尊はメシヤと御教えがあります。」
(その、明主様のお腹に宿られた神様が、『天照皇大御神様』であると、私が質問した メシヤ様のご神名の説明がありました。
時系列で説明され、分かりやすかった。
全部載せたいんですが、長くなるので、これはCD化され、配布あるかもしれません。
大体は御教え研究者から見る、予想範囲ですが、
ミロク塔の解説 、日枝神社へ天照大御神様のお迎え、
メシヤ降誕仮祝典の御神名の解説が、桜木やよいちゃんの観世音を産む型からされたのが、とても印象に残りました。さすが本家だと思いました。)
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25:minoru
:
2023/07/19 (Wed) 21:28:48
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一番さんの質問と理事長の答えがあまり噛み合ってないように感じるのは私だけでしょうか。
話の続きがあるのでしょうかね。
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24:一番:
2023/07/19 (Wed) 10:30:44
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これは 杉原理事長にちょうど6月だったので、15日の地上天国祭、メシヤ降誕仮祝典時の『 天照皇大御神 』の御神名についてお伺いしました。
先生のお答えが、
1930年12月6日、信者の桜木弥生(やよい)の腹痛を明主様は浄霊された、症状は出産の様を呈する。この出来事を明主様は観世音菩薩が、この世に誕生した神事と感得された、
この頃、ミロク塔を建立されるが、ここに誕生された観世音菩薩の御霊を、一時、御安置されたと私は解釈していると理事長はおっしゃた。
成程と思いました。
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23:匿名X
:
2023/07/19 (Wed) 01:31:25
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>・・明主様のお言葉は前後を見て判断する事もありますから、天皇制は必要ないというのは、マイナス面をおっしゃったんでしょうね。
御教え集第二十八号↓
https://meisyu-goronbun-567.com/?p=7463
この中では
『私は天皇制がなくなったという事は非常によい、喜んでいる。というのは、この間の太平洋戦争にしても、結局ある一部の野心家が天皇を利用してああいう馬鹿々々しい戦争を起こしたのだから、天皇制がないとしたら、つまりああいったような戦争は起こす方法がない。そういう心配がなくなる点から言っても大変よいと思う。』とか
『私は天皇が御退位になって、つまり天皇制がなくなったという事は非常に結構と思う、これでこそ本当に日本の国柄としてその使命を達成する事ができる。というのは大体日本という国は戦争などで権力を握るとか勢力を張るという国ではないのです。日本は平和国、要するに美の文明、芸術の文明国です。そういう事を完成して世界中の人を楽しませ喜ばして、そうして文明の進歩に貢献するという国なのです。だから特に風景とかあらゆる条件がよく備わっているのです。私は前からそういう考えでいました。その最初として箱根、熱海、いずれ京都に地上天国の模型と美術館を造るのです。』
と仰っておられるので確かにマイナス面をおっしゃったんでしょうね。
天皇制は《狭義には大日本帝国憲法下の君主制としての天皇制を指し、広義には近代以前の天皇制や、日本国憲法下の象徴天皇制も含める》とWikipediaに書かれています。
明主様が当時仰った《天皇制がなくなった》というのは大日本帝国憲法下の君主制としての天皇制のことでしょうね。
実は現在も天皇制は継続しています、但し象徴的な天皇制ですが。
また
私は最高の色は金色だと思っていましたがそうではなく白が最高の色のようですね。
と投稿したのは天照皇大御神の【皇】という字の意味を強調したかったからです。
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22:一番:
2023/07/18 (Tue) 23:52:21
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私は天皇制の事は分からないんですが、 明主様のお言葉は前後を見て判断する事もありますから、
天皇制は必要ないというのは、
マイナス面をおっしゃったんでしょうね。
これには、また深くおっしゃっている物もある。
私は何故天皇を日本人は敬うのか、理解出来なかったんですが、
全集とまた一般書物を読んでいたら、もっと深い意味があると書いてます。
全集の観音講座にもありますね。 世界を統める主神の御働きであると、
その形を体的に取られたのが天皇制なんでしょうね。
だから今世界中で天皇の御紋らしきものが発見されてますね。
そこで私は天照天皇に注目しています。明主様が、天照天皇について語るのは時期が早いとおっしゃいました。
しかし、メシヤ降誕仮祝典で、天照皇大御神であると、ご自分をお示しなさいました。
そして 伊勢神宮の天照大神が 明主様の元を訪れられ、主神様とお呼びしたとあります。
世界救世教 いづのめ教団、元専従さんが投稿されたように、
明主様が天照天皇ならば、婦神の 天照大神が明主様に主神様、天照皇大御神様とお祝いに来られた。(メシヤとなられたから。)
また一面、 ご夫婦の邂逅(かいこう)になると、あくまでも個人の解釈ですが、見ますね。
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21:匿名X
:
2023/07/18 (Tue) 02:15:13
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>「 先生は、勉強不足で申し訳ない。知らない」とおっしゃいました。
流石ですね、よく知ったかぶりして適当なことを言う方もいますけれど..。
それから、岡田茂吉全集の講話遍、第11巻の何処か忘れましたが日本には天皇制があったけれど
天皇制は無い方が良いとか明主様は仰っていたかと思います。
そして、私は最高の色は金色だと思っていましたがそうではなく白が最高の色のようですね。
<お伺い>
「霊界通信では神界は金色をしているとありましたが――」
<明主様>
最高はそうでないのです。最高は白です。その次は金色です。ですから白とは、色んな色を廻すと白になるでしよう。あの理窟です。その次が金色です。ですから天皇の皇の字は白の王としてあります。統べるです。ですから私は寸鉄に「白光生」としたのです。大体凡ての事は、一つの現われで分るのです。
(垂十二号 昭和二十七年八月二十五日)
とあります。
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20:minoru
:
2023/07/18 (Tue) 01:12:21
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>私は最後に『天照天皇は 明主様の前世であると聞きましたが 、理事長はご存知ですか?」 と聞きました。
とても積極的でいいですね。
https://web.archive.org/web/20181106014824/http://www.geocities.jp/shumeic1/amaOOMIKAMI.html
この御教えから何となく察する事があるかもしれませんよ。
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19:一番:
2023/07/18 (Tue) 00:23:21
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先月 世界救世教いづのめ教団 理事長がおいでになり、お話されました。 とても内容が良くて、個人のわだかまりが無くなってしまいました。
それで、話は変わり、私は最後に『天照天皇は 明主様の前世であると聞きましたが 、理事長はご存知ですか?」 と聞きました。
「 先生は、勉強不足で申し訳ない。知らない」とおっしゃいました。
これは同じ世界救世教 いづのめ教団の、元専従さんの投稿で書かれていたんですが、
それで、これはみのるさんが掲示板で2年前、投稿されたものからで、
(昭和23年 7月神智之光、他)より
(お伺い)
天照大神様は女の神様でございますか 。伊都能売之神様との霊的関係をご教説 お願いあげます。
(御教え)
『大変神秘がある。 例えて言えば 天照大神の父親という意味になる。
夫神があるはずで、『天皇天皇』と申し上ぐる。
歴史にあるが、隠してしまった。
発表にはちょっと時期が早い。観音様とも縁がある。
天照大神ー天皇は太陽神で、大神宮では天照大女神である。
そして『天照天皇』は日になる。
天照大女神は月になる。
ゆえに 観音様と関係がある。これはまだ言えぬ。』(昭和24年2月3日)
とありますね。
大変神秘がある、時期が早いからいえぬ。とおっしゃってます。
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18:一番:
2023/05/27 (Sat) 04:34:52
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私は皇室は本当に必要なのか、ずっと思っていたんですが、何故、日本人は正月にちゃんと皇居に参拝に行って「天皇陛下万歳!」と唱え祝うのか。
形式化してます。何故かと思っていたら、 明主様の御教えに 天皇が国を治める。
世界を治めるとお書きになっているから、
理解出来ないけど、そうなんだと思っていたんです。
しかし 明主様が『天照天皇』だとしたら、
あぁ、そこで皇室は神武天皇から、ニニギの尊、天孫(中国系)、
その血が入っていると言われてますね 。
純粋な大和の血ではない。
それでも今、皇室が守られているということは、
将来は明主様が『天照天皇』であって、本当の皇室の祖であると
『天照皇大神様』として国民が手を合わす時がくる。その時が
地上天国なんでしようね。
これで纏(まとま)ると、
そのために残してあるんでしょうね。
『天照皇大御神様』は『天照天皇』である、これが復権なんでしょうね。
そこでご神体に『 天照皇大神様』とご神名をおあげするのは、
御尊影からになるんでしょうね 。
「お文子」まではまだ『 ミロク大御神』なのでしょう。
ですから「 新健康協会」はもう、
『天照皇大神』 守りたまえ、 と御神名を先駆けてお称えする。
よろしいんじゃないでしょうか、
御尊影をお祀りされているのですから、
木原先生が「メシヤ降誕仮祝典」で先達を、なされたんですから 。
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17:一番:
2023/05/25 (Thu) 05:49:12
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メシヤ降誕仮祝典の時に、ご神名をメシヤ様と言わなくて、『天照皇(すめ)大御神様』と明主様にお称えした。
これは天照天皇の復権になると思うんですが、
そこで 晩年、明主様のところに「天照大神」がおいでになったと、御教えになかったですか。
あの時、天照大神は明主様に向かって、主神様とおっしゃってなかったでしょうか。
あれは天照大神(奥様)が、天照天皇(夫様)におっしゃった。
明主様は天照天皇(主神様)であると。
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16:一番:
2023/05/22 (Mon) 01:15:15
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昭和29年、メシヤ降誕仮祝典の時に、明主様に対して『天照皇(すめ)大御神』のご神名をお挙げした。
これは今まで信者は明主様とお呼びしていて、 またメシヤ様とお呼びするようになった。
しかしここでは『天照皇大御神』と お称(とな)えした。唐突に思えるんですが 、
ただ当時の記録があるので、そうなんだろうとしか、 これ以上のことは出てきません。
この意味を説明できる人はいないでしょう。
今、都市伝説の雑誌「ムー」のアーカイブ(過去のもの紹介)を見ているんですが、
その中で、2018年7月発行、「ホッマタエ、 男神、天照大御神の謎」、
天照大神は男であったのかと、紹介してます。
謎なんですね、早速注文しました。
太陽神はだいたい男である、 太陽は男がシンボルであるとされているとありますが、 それが天照大御神は太陽神で女だから謎なんですね。
メシヤ降誕仮祝典の時に メシヤ様に対して『天照皇大御神』とお称えした
これはメシヤ様は男性ですね 。明主様御自身が 『天照皇大御神 』であると証明されたと思います 。
つまり 天照天皇であると。これが世間では謎なんですね。
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15:一番:
2023/05/16 (Tue) 09:24:17
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世界メシヤ教会、
また登場してますが 世界メシヤ教というのは本当ではない。
世界救世教と、漢字で書いて、メシヤ教と呼ぶ。
漢字が東洋で、カタカナが西洋を表し、これが結ばれ、世界統一する伊都能売(いづのめ)の働きになると御教えがあります。
当時は それを前提として、 世界メシヤ教と略して 、カタカナで書いてましたね。
だから今の楳木さんの世界メシヤ教は、また四代の世界メシア教は、
漢字で 世界救世教とは書いてない。
ただメシア教と呼んでいるので、神意でない。
本物ではない。
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14:一番:
2023/05/16 (Tue) 08:49:54
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天照天皇の存在を隠すことで、
メシヤは存在しない。 今日のメシヤの出現を阻止するユダヤの計らいがあったと想像されますね。
だから世間では 天照天皇が男だった、存在していたということが知られていない。
だから世界救世教では 明主様がメシヤを宣言された、ここまで発表されてますが、
前世が『 天照天皇』であったと公表していない。
明主様がメシヤ降誕仮祝典の時に、 『天照皇大御神』を奉唱させられました。
そしてこれからご神体を拝む時は、 『天照皇大御神』を拝めとおっしゃった。
これも公表していない。
世界救世教 いづのめ教団がユダヤの働きで公表されなかった。
今の世界救世教の基盤を作った
二代教主は、大本の御神体を、祀っていたと奉仕者の言がある。明主様がメシヤを宣言された時にこれを否定して、大本教にお詫びに行かれた。
これも記録ありますね。
大本は素戔嗚尊、ユダヤで、その働きだと想像されますね。
だから掲示板で、疑問を持った元専従者さんが公表された。
未発表の御教えとして『 天照天皇の前世が明主様であった』と、
これは大きな風穴を開けたと思いますね。
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13:一番:
2023/05/15 (Mon) 20:01:29
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これが ややこしいですね。 世界メシヤ教会と名乗ってますが、 京都の世界メシヤ教会が黎明教会になったから、名前を名乗っているんでしょうか。(京都のメシヤ教会が 、黎明と名のっているかは確認してませんが)
ここは分かりません、
ここの問題点は 御神体ですね 。
楳木さんに神様から啓示があった
「ご神体はまる にチョンにしろ」と、
ここがどうしても理解できません。なぜ今更、彼に啓示があるのか。
また過去「メシヤ様にも間違いはある」という言葉ですね。
やっていることはわかるんですが、
どうしても理解できない。
またあの人は問題を起こしてます。
元専従さんも書いてましたね。
しかしまだ彼を信じる人たちが存在していたんですね。
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12:minoru
:
2023/05/15 (Mon) 19:39:50
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>教会が閉鎖的に見えるというのは、当時、楳木メシヤ教と混同されていた? それで問い合わせが来たんじゃないですかね。
それからネットではそんな風に表示ありました。
確かに、その影響もあるかもしれませんね。
それと、明主様のこの御言葉から受ける印象ですね。
「中村は最後の審判の時に役立つ人だから、座敷牢に入れておきなさい。必ず役に立つ時がくる」
この座敷牢というニュアンスから、信者数を増やしたり、拠点を拡大していくという感じではない御用のあり方を感じます。
ですから、中村先生が英訳した御神書によって西洋社会にも、すでに光が入っているのでしょうね。
バチカンの実態なども明らかになってきていますからね。
それから、少し話が変わりますが、このようなHPを見つけました。
”世界メシヤ教会”
https://meshiyamatsubara.com
旧・メシヤ教の松原支部のようですね。
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11:一番:
2023/05/15 (Mon) 15:59:55
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みのるさん、すみません 、ありがとうございます。
何か記憶があったんですが、私も今あなたの言った 小田先生の本を見たんですが、「中村氏は教団を離れ後も、それに生涯を捧げて、現在今日なお、信念を堅持し健在で、京都でその任を果たしつつあると聞く。」とありますね。
「専従者の道を歩み、 私の入信のお取次をしてくれた。 これが中村氏との縁である。」小田先生のお導きの親であるとありますね。
導きの親とは、秀明で使う言葉ですが。今から21年前、2002年5月4日、秀明の記念大祭帰りに行ったと、日記に書いてます。
「古い民家で2階建て、昔から変わってないとのこと、秀明でいったら、出張所くらい。
信者数は月次祭で100人程度来られるとのこと 、金紛等の奇跡はないと、 ただ 浄霊の時、熱を触って見るのは勉強になった。
ご神前は『大光明如来』右に御尊影(二位一体)で、中央に祀られてある。右に大黒像、隣の部屋に『光明』の御軸、前に祖霊の位牌。
神、明主様、中村市郎編 、(浄霊研究所)第一部、(購入しました)
この本が作られた頃、中村先生は帰幽されたから、当時は 第2部を 編集していると専従者は話していた。」
紹介いただいたホテルで金縛りにあいました。 金閣寺にその時は行きました。
その後 数年、電話で交流あったんですが、
間をおき、電話したら メシヤ教会を離れ、東京黎明教会に移ったと言ってました。
第2部、本が出たか分かりませんが、教会を辞めたと言ってたから 、浄化があったと思いました。
今その黎明教会と1つになったんですね。
教会が閉鎖的に見えるというのは、当時、楳木メシヤ教と混同されていた? それで問い合わせが来たんじゃないですかね。
それからネットではそんな風に表示ありました。
*(掲示板の投稿が始めに来るというのはいいですね。 使いやすい。 白ポッチさん目が浄化している中、ありがとうございます。)
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10:minoru
:
2023/05/15 (Mon) 12:54:45
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世界メシヤ教会
(宗教情報リサーチセンターより)
https://rirc.or.jp/database/?kyodandb=207
この教会は中村市朗先生が立ち上げた拠点だと思います。
小田先生は中村先生の後輩のような感じでしょうね。
まあ、これは余談ですが、小田先生のご著書に「明主様(きみ)に照らされた日々」(昭和62年10月1日刊行)というのがありますが、その中から少し抜粋します。
ーーーーーーーー
先輩の中村氏の人柄について少し触れておく。
中村氏は、一高出の秀才であったが、私とおなじく結核のため学問を断念し、本教の門をたたいた。
以来、専従者の道を歩み、私の入信のお取次ぎをしてくれた。これが中村氏との縁である。
道を求める熱意は他の追随を許さなかった。余りにも強固な信念に、ある教会長が明主様に「中村さんをどう処遇したらいいでしょうか」とうかがったことがある。
明主様は「中村は最後の審判の時に役立つ人だから、座敷牢に入れておきなさい。必ず役に立つ時がくる」とお答えになったという。
それを知った中村氏は『御神書』の研究にますます没頭した。私もその元で御神書を学んだのである。中村氏の願いは『文明の創造』の教えを世界各国に配布することにあった。
明主様が「文明の創造を英訳して全世界の著名人、学界、文化人に配ります。この書が天国の福音で、聖書の『天国の福音をのべ伝えよ、しかる後末期至る』の役目をするのです」とおっしゃった。
その明主様のお言葉に絶対信頼をおき、中村氏は教団を離れた後もそれに生涯をささげて、現在今日なお、その信念を堅持し、健在で京都でその任を果たしつつあると聞く。
ーーーーーーーー
(抜粋終了)
その中村先生の御用を果たすために世界メシヤ教会(旧・青光教会)があったのかもしれません。
若干、閉鎖的な教会だというイメージが私にはありました。
今は黎明教会と一緒になっているという情報が以前この掲示板にありましたね。
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9:一番:
2023/05/15 (Mon) 09:59:07
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今、竹内文書、九鬼文書(くかみもんじよ)宮下文書を少し見たんですが、
これは縄文時代より昔、神様の時代があって、その中心にいた天皇が世界を治めていた。
これは明主様の御教えを基準で判断したらわかると思うんです、
途中で書き変えられているところがあって、 インターネットで書いてあるのと違うところがある。
それを省(はぶ)いて読んでいったら、 輪郭(リンカク)が見えてくる。
今は昼の世界、これらが
解明されていくのでは、
これは明主様が『天照天皇』だとしたら、今日まての動きが見えてくる。
メシヤ降誕仮祝典時に、明主様に向かって『 天照皇大御神』の御神名をあげた。
この意味が分かっていない、
これが今まで古代史でも、捏造(ねつぞう)や隠蔽(いんぺい)がされていた。
明主様が『天照天皇』の再生だと
世界救世教でも誰も知らない、表に出されなかった。
隠されていた。
これが言われている、日本書紀や古代史の捏造 、隠蔽の意味になると思うんですね。
ユダヤの働きですね。
ユダヤの中にも 善のユダヤと悪のユダヤがあると御教えがあります。
明主様がメシヤであるのを隠した。
古代の『天照天皇』が 今日のメシヤであると言うことを。
(今ジョイさんの投稿を見たんですが 、下に書いてありますが 、
京都のメシヤ教会、あれは 小田先生から中村先生に譲渡されて(記憶で書いてますので訂正があれば投稿を) 、そして 中村先生が亡くなられ、娘さんが会長になったんですかね。 それから別の人がなっているでしょうか、
この辺から知らないんですが、小さな教会でした、知った専従者がやめて、他の教団に移ったと聞いてます、 色々あったんでしょうね。)
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8:ジョイ
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2023/05/09 (Tue) 13:22:30
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新健康協会(旧晴明教)の会長(トップ)は選挙で選ばれると聞いたことがありました。
京都の救世協会?も世襲ではなかったような。。。
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7:一番:
2023/05/09 (Tue) 11:10:15
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素戔嗚尊系から日の神が出てくるというのは、 出雲の中からですね。
ここは私は 大和族と解釈しますね 。
それとあなたは メシヤ様 、ミノルさんは天照皇大神様と書いてある。
そうだと思いますね 。
今は昼の時代
まだ明主様とお呼びするのは、違うんでしょうね。
当時、いづのめ教団はメシヤ様と みんな 呼んでました。松本理事長の頃。
渡辺理事長から元の明主様とお呼びするようになった。
元専従さんの投稿。
「明主様と 御教えと浄霊の結果に従うのか、所属する組織や教団の方針、
四代教主、小山会主という人の指示に従うのかという人間的な信仰上の選択ではないかと解釈いたしております。」
メシヤ様の血筋、
今回の四代の離脱劇、ある意味教団を壊滅させた。世界救世教 いづのめ教団、 7割の信者が(キリスト教化した)四代のもとへ 、8割 9割の幹部専従も。
人間をとるのか、 御教えをとるのか、
だから 血筋は関係ないと解釈します。
新健康協会、会長は木原先生の血筋ではありません。専従、幹部の協議で決まるようです。
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6:minoru
:
2023/05/08 (Mon) 22:42:06
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う〜ん、御帰天後の明主様は、それほどまでに御力が無いとお考えなのでしょうか。
もちろん、御在世中は現身なので、ある程度の邪魔が入ったとは考えられますがね。
教団の現状、さらには食品添加物やワクチン等も、明主様から出題されたメンタルテストのようなもので、全ては個々の進歩向上のためではないかと。
明主様に対して天照皇大御神様とお唱え申し上げた意味は、そこにあると思いますがね。
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5:ひみつべえ
:
2023/05/08 (Mon) 20:42:33
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一番様、ご指摘ありがとうございます。
乙姫と夜叉龍神が同一の存在だとすれば、乙姫は解脱する(救われる)ことが約束された存在。乙姫は悪神扱いされているが、かつて持っていた光の玉をメシヤ様にお返しした存在。かくして霊界は夜から昼になった。当然、光の玉が乙姫の手に戻れば夜(乙姫の世)に戻るは、むしろ道理。きっとメシヤ様は、観音に化身して今の日蝕の世界・乙姫の世を見守っている。食品添加物やらワクチンと、メシヤ様在世よりも薬毒まみれの現状で、あまり目立った浄化がないのがその証明に思える。2代様の時代に世界救世教が拡大したのは、疑似的に夜の宗教にしたからではないだろうか。されど本来は昼の宗教である世界救世教は、邪神に負けて分裂・縮小を繰り返し、現在に至る。これを行動や奇跡ではなく、理論でしか説明できない現実が悲しい。
乙姫はいつ光の玉をメシヤ様に返すのか。2代様(大本教)にせよ、4代様(キリスト教)でどっちも素戔嗚系。でも私は素戔嗚系を見下す気はありません。日の神が生まれるのは、素戔嗚系からですから。だから4代様の孫にちょっと期待してたりします。
今は、日蝕の時代。お日様を隠したお月様から、いついつお日様がでやるのでしょうか。
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4:一番:
2023/05/07 (Sun) 19:53:43
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二代教主が乙姫 というのは、私も岡田茂吉研究者の一人としては、そう解釈しますね、
以前、二代教主様が 出雲御巡業のおり、出雲大社に参拝された。
その時に二代教主のお体からスサノオノミコトが抜け出て、神殿に入っていくのを何人かの信者が霊視したと投稿がありました。
どちらにしても ユダヤ、 大本教 、スサノオノミコト 、奥様の乙姫、
どれを書いても誤りではいないと解釈しますね。もちろん 正確は求められますが。
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3:ひみつべえ
:
2023/05/07 (Sun) 16:31:03
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ひみつべえです。
2023/05/07 (Sun) 13:31:45の文章で
下記のとおり、訂正があります。
月(素戔嗚尾)に隠された太陽。
(誤)素戔嗚尾→(正)素戔嗚
コロナ(皆既日食にでてくるフレア)は終わった。
(誤)フレア→(正)太陽の光環
・・・すみません。
あと2代様に乙姫が憑いているとか、「光の玉=教主の座」は乙姫の型だとか、かなりディスていますね。これで、かなり不快な感想をもった世界救世教いずのめ教団・世界メシア教(主乃光教団)の皆様にお詫びします。
私の所属する東方の光教団でもこのような解釈はしていません。東方の光教団の解釈は、「光の玉=明主様」です。2代様乙姫憑依は、あくまでひみつべえ個人の感想にすぎません。
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2:ひみつべえ
:
2023/05/07 (Sun) 13:31:45
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はじめまして、ひみつべえです。
東方の光信者です。
同じく「明烏ど阿呆日記」のブログから
昭和29年8月1日
メシヤ様は、「現在の体の状態では、まだメシヤとしての活動を十分に尽されない感があるから従来通り明主の言葉にて唱えるように」と阿部執事へ仰せられ、栄光紙にその旨を発表される。
昭和29年12月23日
明主様御降誕祭。
千手観音様の御神体を御奉斎。
明主様御着座遊ばされ、天津祝詞奏上。御神名不明。
(今後の御神名奉唱の回数に関して)
同日「今日以後の御神名の奉唱は一回だけにせよ」とのこと、教団本部での奉唱は一回、教会、集会所では二回(従前通り)、信者の家庭では三回と御神名の奉唱が変わる。
個人の意見ですが・・・。6月、8月、12月と「メシヤ:天照皇大御神→明主様:光明如来→千手観音」とお姿が逆行・退化されていているような気がします。
そして昭和30年2月10日午後3時33分、御昇天遊ばされる。33は、観音様ナンバー。
メシヤ様の死後は、昼ではなく、邪神どもが蠢く事実上の夜の世界。金や力が支配する邪神同士の戦い、幾度にも教団浄化で教団は分裂。五体は引き裂かれ弱体化。これでも昼の時代というなら、今は皆既日蝕の時代でしょう。
月(素戔嗚尾)に隠された太陽。2代様・天津真玉善美命(アマの真珠 よしに巳が憑いている。乙姫の型?)の時代となり、光の玉は「教主の座(明主様→乙姫)」へ移行した。しかし世界救世教の教主の座は、今は事実上ない(規則による機関としての教主はいますけど・・・)。
コロナ(皆既日食にでてくるフレア)は終わった。
さて天の岩戸はいつ開くのか。
かごめかごめ
籠の中のお日様は
いついつでやる。
夜明けの晩に
露と烏がすべった
うしろの正面、誰?
「阿呆!」