明主様 一つの波紋3 261935

明主様

一つの波紋3

明主様信仰者の投稿から始まった『一つの波紋掲示板』の3代目。
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天照皇大神、2

1:一番:

2023/08/02 (Wed) 09:36:00

昨日 資料を見ていたら 平成3年の世界救世教いづのめ教団の内部資料が出てきました。
これは天照皇大神を書いたもので、その中の天照天皇が系図の中に小さく 載ってました。
天照大神、 奥様が主人公で天照天皇は途中で崩御された。

それ以上はありません。 影が薄い。

しかし明主様は御教えに、天照天皇について、今は話せないと書かれてますね 。
21:一番 :

2024/04/01 (Mon) 02:47:07

〘天照皇(スメ)大御神様と天照大神様の違い〙
投稿者イーストさん(2021年9月21日)から
「御浄霊の本源を求めて 」廣野壽喜著、2012年より何点か引用、

①天照(皇)大(御)神様、『皇』 『御』 の両方を冠してある。

天照大神様、『皇』『御』の何れか、または両方つかない。

②出口 王三郎聖師の解釈

『天照皇大御神』様・・「天之御中主大神」(主神)の御神徳を完全に発揮した給う御状態としての御神名、

「天照大神」様・・天界の主宰神

*「因みに 天照皇大御神様と天照大神様とは、その位置において、神格において、所主の御神業において大変な差異のあることを考えねばなりませぬ。」
(「霊界物語」 47巻 3ページ、大正12年1月8日」

(とありますが、それこそ、『天照天皇』と、その「奥様」の差だと思うんです。)(一番)
20:一番 :

2024/03/31 (Sun) 03:09:15

元専従さんは神素戔嗚尊の再生は渋井総斎と書いています。

《明主様 岡田茂吉師との邂逅》

抜粋、 「總三郎はある人物を待ちながら胸の高鳴りを抑える事が出来なかった。
その方は、まだお見えになってはいないのだが、もう時期、襖一枚隔てた隣室にお見えになるであろう。

しかし、今はまだご不在のはずの隣室から、
52歳を数える総斎が生まれて初めての、何かとてつもない力を感じていた。
中略、
総斎はこの日、たまたま母の腰痛と姪のカリエスの治療の相談のために、世田谷上野毛の宝山荘に明主様 岡田茂吉師を訪ねたのであった。

岡田教祖が皆の待つ部屋に入って来られた。
その時であった、総斎がこれまで感じていた目に見えない神秘的な力が、身も心も圧倒する勢いで迫ってきた。

一瞬の事であったかもしれないし、 数十秒続いたかもしれない。

その時、まばゆい光を感じた。総裁は目を一瞬閉じてしまった。

そして目を開けた時、正面に座った岡田教祖の背後に観世音菩薩が立たれているではないか、

ハッと思った瞬間、岡田教祖の中に観世音菩薩がスッと入っていかれたのである。

「長い間待っていたのは、この方だった。よし、この方のために全てを捧げよう。」

それだけだった。この後『夜昼転換』についてのお言葉を教祖は述べられた。
この御講話の間も、教祖のお顔と、観世音菩薩のお顔が錯覚して見えていた。

岡田教祖・明主様と渋井總三郎とのこの運命的出会いは、昭和13年1月26日の事である。」(渋井総斎、御用の人)から

(不思議ですよね。 昭和26年に神素戔嗚は主神にお詫び申し上げたが、通らなかったと訴えてきてますね。
『夜昼転換』の御講話をすぐされた。

今がその転換の時期ですね。)
19:一番 :

2024/03/29 (Fri) 11:28:13

昨年の6月、世界救世教いづのめ教団 杉原理事長はこちらへ来られました、
一般信者との挨拶はない予定でしたが、急遽行われました。

その中に今世界救世教の友好関係にある離脱教団は、救世しん教、黎明教会を挙げられました。
また小さな団体も催し物、集いを聖地で行っているとおっしゃってました。

しかし世界救世教いづのめ教団の「救世会館」中には入らないとおっしゃってました。

これは ご神体が違うから、

ご神体の違いから離れていると思うんです。
原因の一つにある。何故、二代教主が書くのか?
これが御神意であると言いますが、
何故、教祖、明主様御神筆にしないのか。

今は 世界メシア教を作って 宗家は出て行きましたね。
教団で今、明主様御神筆に戻すことはできる。

しかし、やらない。何故か?
18:一番 :

2024/03/29 (Fri) 01:46:28

御垂示録
(昭和26年(1951年)9月5日)

(御垂示)
抜粋、
『信州が難しいというのは 素戔嗚尊の息子の、建御名方命という神様ですが、これは本に書いてあります 。

素戔嗚尊ーー大国主の次男ですが、これが 信州に逃げ行って、水に飛び込んで死んだ。

それが御神体として祀られている。 それが以前は非常に暴れる、大人しくない神様で、

それが一般を支配している、あの時分ではそれが邪魔するから 中々大変なものです。

しかし今では本尊様は改心しているからね。 しかし 眷属が沢山あるから それが邪魔している。』

と、お言葉があります、

ではなぜ世界救世教二代教主は素戔嗚尊なのか?
17:一番 :

2024/03/27 (Wed) 01:21:00

元専従さんは、
三柱の素戔嗚は皆 喜悦服従したと書いていますね。
神素戔嗚は渋井先生ですから、 喜悦服従は分かりますね。

三代目素戔嗚はで幽界で千手観音様の代りをされてるお方で。

これも分かります。
明主様はお詫びしてない素戔嗚がいると、お書きになっておられますね。

私は 岡田茂吉研究として、今日の世界救世教 いづのめ教団の「大光明 真神」御神体と関わりがあると思うんですが。
16:一番 :

2024/03/26 (Tue) 02:53:19

2018年5月23日 元専従さん投稿から

「本当は多賀先生の審神(さにわ)の記録を読んだ上で、明主様の御教えを読み直していただくと理解しやすいと思うのですが、

審神の記録において三柱の素戔嗚尊は 明主様に対して、喜悦服従を誓われておられます。

明主様、二代様、御在世中の昭和20年代において、神(かむ)素戔嗚尊の魂は現界では渋井(総斎)先生、

速(はや)素戔嗚尊はイタリアにて職人として再生、
竹速(たけはや)素戔嗚尊は幽界において、『幽世の大神』として働かれております。」

15:一番 :

2024/03/25 (Mon) 04:07:26

『神素戔嗚尊は私にお詫びをしなければならない事がある』とありますね。

これは天照天皇の頃、ご自分が素戔嗚から殺害された。 これをおっしゃっているのかもしれませんね。

直接にはこんな事言えませんね。

《日本人の霊的考察》 (上 )
(昭和26年御発表)
抜粋、
『また、単に 素戔嗚尊(すさのおのみこと)と言っても、三つの神名がある。

神(かむ)素戔嗚尊、速(はや)素戔嗚尊、竹速(たけはや)素戔嗚尊であるが、

私の考察によれば右の順序のごとく 三代続いて、次に生まれたのが大国主命であろう。』

『ここに注目すべきことは、出雲神社では古くから今日に至るまで不消(きえず)の火と言って、

灯明をつけ、その明かりを移しては取り替えて、今日まで決して絶やさない そうである。

それを二千年以上続けてきたということは、何かよほどの意味がなくてはならない訳で、

考えようによっては、再び復権する日まで血統を絶やすなとの意味かもしれないと思うのである。』

*(これは(投稿者)の意見ですが、 世界救世教いづのめ教団、神慈秀明会
は灯明をあげますね。
世界救世教 二代教主 から始まった
出雲の風習を受け継いでいると解釈しますね。)
14:一番 :

2024/03/25 (Mon) 00:06:52

《天照天皇は明主様か》
これは 元専従さんの投稿でしか解釈する事ができませんので、

その他公開されている資料で探るしかありません。
これは2018年5月20日元専従さんの投稿で、
「 明主様が天照天皇 (天照大御神の旦那様)であった時、天照天皇を殺害したのが、初代神(カム)素戔嗚という話ですね。」
とあり、
これに関連した御垂示録が昭和26年8月5日にあります。

お伺い「松江の倉橋敬三49歳は、今月の雷鳴の時から頭痛が致し、浄霊すると霊動(体が前後左右に揺れる)致します。

合唱したまま手を上げるだけです。

強羅(箱根)に出発直前、御神体にお参りする時霊動をし、家の者が浄霊をしても治まらず、教師の方が来て浄霊すると、

*「自分は神素戔嗚尊であり、主神に三千年の罪をお詫び申し上げたが、お許しがない。
お参りしてお詫びする。」と、言って鎮まりました。
長く 霊動致した場合の処置はいかがしたら、よろしいでございましょうか。」

(御垂示)

『それは本当です。松江(出雲)は日本における 素戔嗚尊の住所です。
素戔嗚尊は、私にお詫びしなければならない事がある。

素戔嗚尊は一人ではない(三神の中)
お詫びしたのも、しないのも居る。

*神素戔嗚尊は私の先祖に対し、ひどく罪がある。

神素戔嗚尊が解決したら、他の霊が憑るかも知れない。
今後の様子を見てみなさい。』
とあります。
13:一番 :

2024/03/18 (Mon) 14:24:40

天照天皇と国常立尊、お働きは異なりますが、中身は一諸
明主様なのですね。
12:一番 :

2024/03/17 (Sun) 19:07:16

2022年2月1日 秀明紙に
《いよいよ 時期が来た》と
小山玉男会長が述べられてます。

そしてここに紹介された『雨宝童子』の図に対して抜粋、

「この『雨宝童子』図は、静謐(せいひつ)で威厳ある眼差しをされ、金冠日食を思わせるような頭光があり、

額に純白の宝珠、頭頂には弥勒下生を迎えるための印とも言われる、五色の五輪塔を頂いています。

金色の転法輪文様の白衣に、黄色の帯を締め、濃紺と、緑の裾(すそ)内衣(ないえ)の緋色(ひいろ)という五色の衣をまとわれたお姿は、

凛(りん)とした品格を、漂わらせておられます。

右手に 邪を粉砕する金剛杵(しよ)、 左手には赤精の名の通り、真っ赤な如意宝珠を持たれ、

霞たなびく、水辺の山頂に降りたたれた、若き大神のお姿として描かれています。

この『雨宝童子』図の箱書き には『国常立尊』の図と記してあり。

この尊像が『国常立尊』として信仰されていた時期があったようです。」

ここで 不思議だと思うのは
元専従さんの投稿に明主様の前世は 未公開 として、『 国常立尊』『天照天皇』と書いてますね。
『雨宝童子』は天照天皇の少年期の御姿です。

同一なのでしょうか、

ここに明主様が登場なされたら、繋がりますね。

これは秀明だけでは、この答えにたどり着かない。

元専従さんの 投稿があればこそですね。繋がりましたね。

11:一番 :

2024/03/17 (Sun) 01:08:42

元専従さん(2018年7月14日)投稿から、

「御教えに記述ある明主様の前世でございますが、

応神天皇、聖徳太子、 光明皇后 、源義経、尾形光琳、ある女性とあります。

また 公開されていない御教えにおいては、*国常立尊、天照天皇(天照大御神の旦那様)などがございます。


ご質問の魂を立体的に見るという視点でございますが、例えば明主様の魂、 本霊の輪廻転生の過程におきまして、

 岡田茂吉、明主様、メシヤ様として活躍される為の布石を、過去世において生かされていたという事でございます。

例えば、国常立尊の時代におきましては、善悪立て分け 絶対善の型を現わされておられます。
飛びますが、尾形光琳の時代におきましては、

世界の支配層であるユダヤ資本家の魂を、芸術によって改心させる為の布石を、打たれていると考えております。

薬の利権を持つ、世界の支配層であるユダヤの魂を、芸術によって改心させなければ、浄霊の奇跡は利権の元に潰されてしまいます。

ある女性の時代、これは 江戸後期の人物でございますが、子孫がいるので 名前は出さないと言われておりますが、

この女性の時代に*『自然農法』を実践されたと言われております。」

10:一番 :

2024/03/16 (Sat) 10:09:00

メシヤ 降誕仮祝典、

2ヶ月後に時期が早かったと明主に戻されましたね。

そして30年が「本祝典」のご予定だった。それが御帰天なされたから、

達成されませんでしたが。


神界ではもうメシヤ様になっておられます。
9:一番 :

2024/03/15 (Fri) 18:11:48

これも(2018年5月24日)元専従さんの投稿から、
抜粋

「明主様に対するご神名に
“天照皇(スメ)大神“の御神名を用いられております。

この解釈ですが、全人類のメシヤであると同時に、主神の表現神である

”天照皇大神“と同格、

もしくは「魂の転生」されたお方が 明主様であるという、

ご御神格の宣言であると私は解釈 いたしております。」

(残念なことに、まだ当時はピンと来てなかったから、私は元専従さんに、

これ以上の質問をしませんでした。

そして途中で元専従さんの投稿は無くなりました。

明主様が”天照天皇“と、記録があると、元専従さん。

これを教団理事長は知らないとおっしやるんですから、
結局誰も知らないということでしょうね。

出所がはっきりしないから、

これは元専従さんも書いてましたが、 「栄光紙」に連載されていたとありますから、

ここにあったのか、


これが本当なら、今の皇室の先祖は”天照皇大神“
『天照天皇』(明主様)になる訳ですから。)
(一番)
8:一番 :

2024/03/13 (Wed) 23:32:10

>日の神なのに、雨とは?

(これは分かりませんが、この解説をした新聞によると
「この神様は” 雨の宝の童子“と書く。
雨宝童子という神様で、天照大神が16歳の少年の姿をされ、筑紫の日向 に下生された時のお姿です。(少年とあるから男子なんですね。)

神仏集合思想の両部神道で最も大切な神とされ、大日如来が化身した姿とも言われます。
(大日如来は天照大神の化身と 御教えにありますね)
筑紫の日向は、よもつ平坂の戦いで三つの桃の実(オオカムズミ)の神力により、

魔軍に打ち勝った伊弉諾(いざなぎ)尊が禊祓をされ左目を洗った時に、天照大神がお生まれになった地です。



雨宝童子は、正式には“金剛赤精善(こんごうせきせいぜん)神”雨宝童子”と申し上げ、

金剛石のごとく、何者にも犯されない 強く純粋な真心を持つ、正しい神であり、

雨の降るごとく 福をもたらし、 災いを祓う神力を持たれています。」

とあります。 この文から想像するしかありませんね。
雨だから、水という意味じゃないみたいです。例えば 天照天皇は明主様の前世であるとすれば、
これを公にしたら世間がうるさいでしょうね。

やっぱり 時期というのを見られたのか、まだ いろいろあるとは思いますが。)

7:通りすがり :

2024/03/13 (Wed) 22:43:52

日の神様なのに、なぜ「雨の宝」なのでしょうか?
6:一番 :

2024/03/13 (Wed) 11:41:29

2022年の秀明紙に、天照大神の16歳のお姿を描いた『雨宝童子』図が入手されたと載ってます。箱書きには

『国常立尊』の図と記してあり、 この尊像が『国常立尊』として信仰されていた時期があったようです。
と紹介してあり、
つまり『国常立尊』と『天照大神』が1体として祀られていた。

そして 伊勢神宮の鬼門にあたる艮の方角に天照大神は降臨されたという 朝熊山(あさまやま)があります。

「お伊勢参らば、朝熊をかけよ、
朝熊かけねば片参り」
と伊勢音頭に歌われたように、

ここは明治に神仏分離令が出されるまで、 伊勢の参詣者が必ず参拝する 伊勢神宮の奥の院と言われる 聖地でした。

朝熊山山頂の金剛證(とう)寺に祀られている平安時代の 木造 雨宝童子像(重要文化財、現在非公開は)お伊勢参りの本当の御神体であるとも言われています。

そのように 天照大神は古くから雨宝童子の姿として表され、

女神とされたのは主に明治以降の近代になってからのことです。
とあります、

伊勢神宮に参拝するのは女神であって
その奥にある、まだ今は秘仏である雨宝童子、天照大神の子供の木造が、本当の天照御大神であると、

これが『天照天皇』だと思うんですが。
5:一番 :

2024/03/12 (Tue) 05:17:09

明主様の御名を、今こそ メシヤ様と お呼びする時期で、

これは新健康協会が一番先にやらなければ、でしょうか。
『天照皇大御神』と、御神名を木原先生が人類史上初めてお唱えした。

これは『天照天皇』ですね。

御尊影を御神体 として お祀りしてあるんですから、

これらはメシヤ降誕仮祝典時の会長会議で発表とありますね。
明主様が、

『天照天皇』だとしたら、伊勢神宮の本当の主人公は、『天照天皇 』になるわけですね。

ここで直接の書かれたものはないので検証するしかありませんが、

まず 元専従さんの投稿ですね。 (2018年5月20日)
「非常に興味あるものですが、分からないですね。
竹内文書の内容と似た内容であるとは聞いたことがありますが、

明主様が『天照天皇』(天照大神の旦那様)であった時、『天照天皇』を殺害したのが、初代カムスサノオという話ですね。」

4:一番 :

2024/03/10 (Sun) 23:51:40

〘伊都能売大神様と天照大神〙

『妙智の光』(昭和23年 7月)

「天照大神は女神でございますが、伊都能売大神様との霊的関係を、ご教説願い上げます。」
(御教え)
『大変神秘がある。 例えて言えば 天照大神の父親という意味になる。

夫神があるはずで、『天照天皇』と申し上ぐる。

歴史にもあるが、隠してしまった。

発表にはちょっと、時期が早い。
観音様とも縁がある。
天照大神ーー天皇は太陽神で、
大神宮では天照大女神である。

そして『天照天皇』は日になる。

天照大女神は月になる。
ゆえに観音様と関係がある。

これらはまだ言えぬ。
(昭和24年2月3日)

『天照天皇』という名が文献にあるが、天照大御神の夫神で、 非常に偉い神であった。』
(昭和23年 7月)
*************

(そこで ここに書いてある、大神宮は女の神様が祀られてある。 今の伊勢神宮ですね。

月の神様ですね。
しかし
本来は夫神にあたる、日の神様がおられる。

ここが今まで隠されてきた。時期が早いというのは、夜の時代までだと思うんですが。

隠されていた。
天照皇大神は本当は男の神様であるということ、なぜ隠す意味があるのか。)
(一番)
3:一番 :

2024/03/09 (Sat) 16:04:57

これは2018年5月20日、世界救世教いづのめ教団、元専従さんからの投稿です。

「追記いたします。 明主様から直接に○○の魂の再生であると言われた 先達は何人かございます。

教団の公式記録として残っているものとしては、明主様 関西御巡業時における多賀先生の審神(さにわ)の記録がございます。
関西御巡業において、多賀先生の奥様に様々な神様がおかかりになられ、

明主様にご伝言された記録で、明主様から本物であるので、詳細な記録に残し報告するようにと命じられ、

「栄光紙」にて連載されております。
この 多賀先生の魂は 伊弉諾(いざなぎ)魂が再生したものであると、 明主様はおっしゃられております。

多賀先生は後に川合先生によって教団から追放されましたが、明主様関西御巡業の際の記録に現在も名前が残っております。」

*(神慈秀明会はこの頃、明主様が関西御巡業される際、その奉仕を、秀明が一任されたと本「大奉仕精神」(平成22年)にある。)

また、この神がかりは、未公表の明主様の前世まで書かれているので、貴重だと思います。

元専従さんの投稿に
明主様は『天照天皇』であるとありますが、

これを昨年、いづのめ教団、杉原理事長にお伺いしたら、
「知らない」とおっしゃってました。)(一番)
2:一番:

2023/08/03 (Thu) 08:55:04

平成3年(1991 )〈職員研修資料〉、 伊勢大神宮参拝に際して
《天照皇大神に関する御教え》
30枚、

「〘天照皇大神神と明主様の関係〙
1.昭和6年6月15日 「鋸山(乾坤日本寺)霊界の夜昼転換」霊界に出現された 天照大神 (太陽神)の御神霊を迎える。

2.昭和9年5月1日 応神堂を開設 ご神体『 天照皇大神』

3.昭和9年6月15日 山王日枝神社 御参拝、お供36名に限定、天照皇大御神の御神霊を御鎮座

4.昭和16年5月25日 元伊勢神宮 ご参拝、天照皇大神の御神霊お迎え

5.昭和16年7月1日 伊勢皇大宮 (内宮)御参拝、天照皇大御神と神素盞嗚尊と交替

6.昭和25年6月15日 神人合一 光の玉に、(❜)=天照皇大御神の御神霊が降誕

7.昭和29年6月15日 メシヤ降誕仮祝典(旧メシヤ会館)
1万人の信者が参拝
明主様に向かって 天津祝詞を奏上

御神名は『天照皇大御神』を御唱え」

と、まず1ページ目にあります。
6月の杉原理事長のお話の天照皇大御神、
公式の教団の研修にあるんでしょうね。
そこに個人の見解として、やよいちゃんが観音様を産んだ「みろく塔」から始まると、ご自分は解釈するとおっしゃった。

また昭和16年、元伊勢から今の伊勢に天照大神様をお迎えされますが、
そこで 素盞嗚尊との交代、「夜昼転換」の型を見せられたとありますね。

あの時に私は天照大神(奥様)を明主様は伊勢神宮にお送りされたと解釈していたんですが、

その時はまだ明主様のお腹(光の玉)に、天照皇大御神(主神)の魂は入っておられなかった。

そこで、天照皇后だけでなく、天照皇大神様をもお送りされたと解釈、

ここで天照天皇が登場されたと、私は解釈しているんですが。
ややこしいですが。

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