明主様 一つの波紋3

430854
明主様

一つの波紋3

明主様信仰者の投稿から始まった『一つの波紋掲示板』の3代目。
信仰・思想の枠を超えた交流場所になりますように。

投稿の表示順について
各話題(スレッド)の一番上には作成時の投稿(一番古い)ものが来ます。
その次には、一番新しい投稿が来て、その次は二番目に新しい投稿・・・一番最後が最初の返信投稿(二番目に古い)が来ます。
新しい返信投稿があるたびに、それは上から二番目に配置され、今までの返信投稿は順に下がっていきます。

初代掲示板のアーカイブの見方
↓の『ワード検索』で『波紋掲示板(その1)のアーカイブです』と検索する
2代目掲示板のアーカイブ
https://jbbs.shitaraba.net/study/13427/

浄院と療院 - 匿名

2025/05/11 (Sun) 05:33:43

ある人から質問されたのですが、MOAでは以前「浄院(小浄院?)」と言ってたのを、今では「療院」と言っているのですか?どうしてそう変わったのでしょうか?

私は東方の光ではないので、どなたかお分かりの方がいらっしゃったら教えてください。
質問された方は、「み教えで明主様御自身が『浄院』と書かれていたのを、どうして変えちゃったのかなあ?」と不思議がっておられました。

Re: 浄院と療院 - かえ坊

2025/05/12 (Mon) 21:42:11

名無しさん

失礼しました。

ほんとですね、「小浄院」が「症状院」になってたので訂正しました

Re: 浄院と療院 - 名無し

2025/05/12 (Mon) 00:30:37

かえ坊さん

ご返答ありがとうございます。
「療院」という言葉もみ教えに出てくるのですね!それは勉強不足で気がつきませんでした。明主様ご自身が使われたのだったら、何もいうことはございません。
確かに年代的には「療院」よりも「浄院」の方が17年ほど後、ということでしょうか。明主様ご本人がアップデートされた、つまり療院より浄院の方がいいだろうとされたのであれば、それを敢えて使うのはどうなの?という話になりますが。そこはまあ。。。
それよりも、「小浄院」というのは言霊が悪いなと前から思っていました。小乗や症状に通じますのでね。変換間違いがありましたようにね。

素朴な疑問にご回答くださってありがとうございました。み教えをきちんと調べる時間をかけてくださって、感謝いたします。

Re: 浄院と療院 - かえ坊

2025/05/11 (Sun) 23:39:08

個人的見解になります。

確かに初めのころは医師と連携したクリニックを「浄院」と呼び、各家を小さな浄院ということで「小浄院」と呼んでいました。


ちなみに、「岡田茂吉氏の論文集」で検索すると、

「浄化の言葉」の論文

『栄光』157号、昭和27(1952)年5月21日発行で、

「 今一つは病院という名称である。これも私は非常に悪いと思うが、実際からいえば、この名前も満更間違ってはいないと思う。なぜなれば治らないで病み続けるところであるからであろう。もし吾々の方でそういうものを造って名を付ければ、浄院というのが合っていよう。しかし人間が薬を用いなくなると、自宅で簡単に治る軽い病気ばかりになるから、そんなものを造る必要もなくなる訳である。」


とあります。



「療院」は

大日本健康協会発会式御講話

昭和11(1936)年5月15日で、

「だいたい、健康協会の目的は、無論病気をなくするというのだが、観音会だけですと非常に狭い。例えばキリスト教、天理教の人などは、観音様というと躊躇する。また、科学一点張りの人は迷信臭いとして触れようとはしない。そういう点から救われない人がたくさんできる。いままでは、救われる門が一つしかなく狭かった。今度はもっと広い。入りいいものが、も一つできたことになる。(中略)

運動の概略をお話するが、近き将来にそうとう大きな病院をこしらえる。病院というと言葉がおもろくない。療院とか、治療院とかいうのが本当である。名称は大日本治療院とか、治療所とかいうことになる。今日の病院のごときものをつくり、外来の入院などもすることになる。(中略)

これは、観音様のお知らせになってることだが、東京に十カ所、全国に百カ所、全世界少なくとも千カ所できる。」


という御教えがあり、こちらをよく目にする御教えです。

推察するに、「MOA」の設立が宗教という形ではないので、「大日本健康協会」という宗教でない形での御教えに出てくる「療院」にしたのかもしれません。

そして、全国にも療院を作るという御教えもあるので。



ちなみに、御講話

昭和10(1935)年5月1日に

「世界人類を救う、大光明世界建設のために力をつくすという高い意志がなくてはならぬ。そういう高い意志がないと間違いが起るのであります。そういう間違いない意志、人格的にみて間違いないとみれば、分院の開設を許すことになるんで、だんだんそういう人を増やして行くんであります。
 そして、「岡田式神霊指圧療法」はとてもよく治る。料金も安く短時日で治るという信用を得、また非常に親切で真剣に治すという、あらゆることの信用を得なければならぬのであります。
 そうすれば、観音会へ入る信者がたくさんできる。そうして、入った人は病貧争がなくなるというふうになる。結局、各町内に一カ所ずつ指圧療法の分院ができるようになり、初めて人間は薬や医者の治し方は違う、日本医学より他に病気を治すものはない。どうしても、日本式健康法でなければならぬことを社会の人が知って、それで初めて健康問題は解決するのであります。そういう観音様の御目的であられるのであります。」

この御教えもよく目にする御教えで、ここにでてくる「分院」が、「小浄院」の中で核になる信者さん⇒「分院」の資格が与えられます。


長くなりましたが、よく突っこまれるのが、療院も分院も昭和10年代初期のみ教えで、登場回数も少ないのに、そこのこだわる必要ある?という疑問ですが、皆さんどう思いますか?

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.