明主様 一つの波紋3

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明主様

一つの波紋3

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神慈秀明会 - 一番

2024/01/31 (Wed) 21:22:21

新健康協会の欄に、鋸山の真の場所と、投稿しましたが、これは秀明のことですから、
新しく欄を作らせて頂だきました。

それで古い新聞を探していたら、出てきましたので、一部紹介します。

昭和47年7月10日発行「秀明」第28号から
抜粋、
《天啓の場所はここ》関口一三(66才)は語る(写真付き)
「去る6月2日、鋸山参拝下見のために、東京支部の神谷さんたちは 鋸山に登る。茶店で小休憩をしていると店の主人 関口一三さんが話しかけてきた。
それによると (世界救世教の建てた)「天啓聖跡」の碑のあるところは間違いであるというのである。

奇しくもその日は、神慈秀明会が法的に認証された記念日に当たることを想う時、まさに 明主様のご啓示である。 」
(谷口さん)
「私の家は代々 麓(ふもと)の保田に住んでいますが、三代前から鋸山の採石を家業としています。
私も 旧制中学 (19歳)を出た時からこんにちまで、47年間この山に入り、採石を続けてまいりました。

すぐこの下に百尺観音がありますが、 その付近は私がみな切ったのです。

現在このように 展望台になりましたが 以前は「地獄覗き」の名の通り 荒山になっていて、神秘的な山でしたが、私がこのように開いたのです。

この山のことですが、この山は 瑠璃山といい、向こうが日輪山、後ろの低いのが月輪山、これを鋸山三山といい、この瑠璃山が鋸山の中心で、最も高く最も見晴らしが良いのです。

教祖様が 昭和6年6月15日日本寺を経て、東コースをたどって、ここにお越しになられた時はお目にかかることはできませんでした。
日の出と言うと 午前4時頃ですから 暗闇ですし 採石は夜が明けてからですので 無理はないでしょう。

しかし、日本寺へお戻りになってみんなが、ああだこうだと言っているのを聞き、教祖様がこの瑠璃山に登られたことも、また遥拝の意義も 知ったのです。
それから以後は 少人数の信者さんが教祖様の神事にならって、このお山に登り、遥拝されていました。

ところが 現在の違う場所に「天啓聖跡」の碑ができてからは、皆さんあちらの方に行かれるようになりました。

あの土地は空き地がなかったので、日本寺と交渉の結果、契約によってあそこに建てられたのです。

ですから、あの場所は本当ではありません。

山に名前もついておりません。

教祖様が鋸山三山の中心であり、しかも最も高く日の出を拝むに、最も適したこの瑠璃山をお選びになったのは当然ですね。」

とありますね、ですから、世界救世教が建てたのは、場所が違うという。
当時は空き地がなかったから、仕方がなかったのか、しかし秀明は本来の 場所で遥拝をしているとありますから、
あるんでしょうね。

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/04/30 (Tue) 06:10:55

神慈秀明会の信者として、
今まで習ってきた観音様は最高の神様であるということ それ以上がわからなかったんですが、

岡田茂吉研究をさせていただいて観音様は天照大御神様が正体なんだということがわかって驚きでしたね。

つまり 伊勢神宮と大きく関わっているということ、 夢にも思わなかったですね。

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/04/13 (Sat) 07:41:06

その2
鹿児島の信者さんで桃の実献金が出来るような家庭ではなかったのですが、
姉から連絡があって、
福岡にいるおじさんが亡くなられて、夢に出てきて、霊界で親戚を探すけど 秀明会の信者は誰もいない。

お前たちしかいない。ご神体ご奉斎と献金と、お屏風観音様ご奉斎、慰霊祭をしてくれたら、遺産はいくらでもやると言ってきた。
それも2回ぐらい言ってきた。

本当かなと思ったら、本当に弁護士から連絡があって、お金がおりて、

献金されて、ご神体ご奉斎、お屏風観音様ご奉斎が許され、
お兄さんが、秀明講座に入られ参拝もされていたそうです。

おじさんはそのお兄さんに憑いて、明主様のお話を聞いていたのではないでしょうか。
慰霊祭も出来て、家も新築されたそうです。

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/04/12 (Fri) 22:38:39

今月の秀明紙から、

抜粋、
「話は変わりますが、先日オハイオ州に信者のお世話に行かせて頂だきました。冬場は雪が多く、いつもは行かないようにしておりますが、信者の一人が大腸がんのステージ4という事が分かり、
いても立ってもいられなくなり、急遽車を走らせて、オハイオに向かいました。

ニューヨークでは晴天だったのですが 、オハイオ州に入った瞬間 急に雪の警報が鳴り始め、到着地点の 1 時間 前の高速道路で、目の前が真っ白になるほどの猛吹雪となりまして、
さすがに高速道路を降りて近くのホテルで1泊する事にしました。

高速を降りると、すぐその目の前にきれいなホテルが一軒あって、本当に 命拾いをいたしました。

明主様ありがとうございます。

翌日はオハイオの信者を訪ね、そこには10人の信者と二人の未信者が集まりまして、そのほとんどがアメリカ人で、最近入信したばかりの方でした。

最近、秀明アメリカでは、U.I教師が浄霊インテンシブと言って、普段 ご浄霊が沢山出来てない信者が多いので、みんな集まって浄霊交換を集中的に長時間行うプログラムを推進されておられましたので、

私も集まった人達全員で、「天津祝詞」をあげて、その癌の信者さんの事をお祈りして、浄霊インテンシブをさせて頂だきました。

天津祝詞の時には、皆その方の事を祈り、泣いていました。
そして全員がその癌の信者さんに浄霊が出来るように、1時間ほどかけて、皆で 浄霊交換をしていきました。
7回か8回ぐらい 浄霊交換が許された頃から、段々と部屋の中の空気が清まってきまして、御浄霊のエネルギーも 頂点に達しました。

そして、その癌の患者さんの顔が、真っ青な色からピンク色に変わるという御守護を目の当たりにしました。

明主様ありがとうございます。」

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/02/07 (Wed) 20:30:22

ミノルさん、ありがとうございます。
>『薬師如来は観世音菩薩の化身であって、一名東方薬師如来という。

私は観音様の働きをしながら薬は毒だという説を、唱えているにかかわらず 、薬師如来は薬の仏様というのであるから、すこぶる矛盾している訳であるが、(中略)

仏法の存在する期間は(中略)毒素を固める方が有利であった。 そこで毒素を固める薬を服(の)めという訳で、
(中略) しかし薬師如来は、物質の薬剤は良くないから 霊的薬剤によって病気治癒のご利益を下されたのである。(後略)』
(昭和25年2月)

物質の薬は良くない、そこで霊的な薬を勧めた。やむを得なかった。

しかし 昭和29年3月4日、教32号では
『観音様が 薬師如来に化けられるのです。そうして大いに薬を奨励した訳です。(中略)

その観音様が今度は あれは毒だというのですから、
観音様もなかなか つまり、騙(だま)したり、本当のことを言ったり、
要するに 千変万化、虚々実々という訳です。観音様はあらゆる面に働きをされる。(後略)』

もっと端的にまとめてお話をされました。
観音様が人を騙して毒を服ませたと解釈できますね。
上の文では観音様が薬師如来になって霊的な薬剤を服ませた。

しかし下のご論文では、物質的な薬剤も含まれるようなお言葉ですね。

騙したとありますから、
違う解釈が成立する。
ここが岡田茂吉研究の、興味深いところですね。
一面だけでは判断できない。




Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/02/07 (Wed) 00:27:19

ひみつべえさん、ありがとうございます。
今 拝見しました。成程そういう訳だったんですね。
私もネットで鋸山瑠璃山を出したらあなたの仰っしゃったような説明が、
ありましたので、本当ですね。

これまでは 観音様が薬を作って、

毒を飲ませて、今度は 浄霊で救う。これは仰っしゃってますよね。

時に応じて 全く正反対なお働きをされる。

それで 昨年のいづのめ教団理事長のお話を聞き直したんですが、
その中で6月15日に『天照皇大御神様』が天から降りて来られた。

当時明主様は大本信者であられたので、 大本のご神体なので、そこに『天照皇大神様』にお鎮まりできない 。

そこで当時、弥生(やよい)ちゃんが、観音様を産む神事があって、その頃 「みろく塔」が建てられたとあります。

理事長はその「みろく塔」に、天照皇大神様にお鎮まりいただいたのだと、
ご自分の解釈を説明され、

私は説得力があると思いました。
また
やよいちゃんの名前は
「弥生(やよい)」、弥勒(みろく)を生むと解釈出来るとも言われました。
確かに明主様は「みろく塔」を、なぜ建立されたかは書かれてありません。
(私は知りません)
(「ある神秘、読後のお言葉」岡田茂吉全集、p,354(著述第九巻)にあります。)

Re: 神慈秀明会 - minoru

2024/02/04 (Sun) 22:56:42

薬師如来
『地上天国』13号、昭和25(1950)年2月20日発行


「薬師如来は、観世音菩薩の化身であって、一名東方薬師如来ともいう。私は、観音様の働きをしながら、薬は毒だという説を唱えているにかかわらず、薬師如来は薬の仏様というのであるから、すこぶる矛盾している訳であるが、ここについてその真相を開明してみよう。

 仏法の存在する期間は夜の世界と私は常に言っている。従って、その期間は火素より水素の方が多いから、毒素溶解の力が足りなかったので、固める方が有利であった。そこで毒素を固めるべく薬を服めという訳で、彼の釈尊も薬草喩品(ゆぼん)という経文を説いたのである。

 しかし薬師如来は、物質の薬剤は良くないから、霊的薬剤によって病気治癒の御利益を下されたのである。ところがいよいよ昼の世界になりつつある現在、今度は毒素溶解排除手段をとられたのである。それが私の発揮しつつある観音力である。」

Re: 神慈秀明会 - ひみつべえ

2024/02/04 (Sun) 13:35:09

一番さん
>私はここは 詳しくないんですが、これは御教えにあるんですか?

東方瑠璃光世界については、私個人の解釈です。ちなみに薬師如来については、以下のような御教えがあります。

「そこで薬というものは神様が作ったものです。その一番の証拠は、薬師如来と言って、観音様が薬師如来に化けられるのです。」

「薬師如来というのは観音様の別名で観音様は薬をのまして病気を治された。これは霊界が夜だったから、溶かすより固めたほうが早く効果があったからで、昼の世界になると反対に火素の量が多くなるから、溶かすほうが早い。私の行なわせる浄霊はそれである。釈迦も『薬草為本』という経文を作って病気は薬で治せと説いたのである。」

ここからは私個人の見解ですが・・・。
国常立尊は「裁き」の働き、伊都能売神(=観世音菩薩)は「救い」の働きをする。国常立尊は裁くがゆえに善悪に厳しい。観音様は救うためなら「悪(=大乗善)」にでもなる。それは、「善悪を超越した真」といえばいいだろうか。だから同じ観音様でも時代や名前が違えば主張が全く異なる。

薬師如来は、夜の世界に応じた「薬」を奨励。
光明如来は、昼の世界に応じた「浄霊」を奨励。

主張は違えど、根本には救いの働きがある。時流に合わせて、ベストな救いを伝える。まさに応身弥勒の働きですね。

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/02/04 (Sun) 07:09:18

皆、碑に向かつて礼拝したんですね。
やっぱりこれは大きな誤りですね。

今の元四代の世界メシア教と同じで、
大勢が明主様のお孫さんだからと救世教を離脱して、そちらに行きました。

今はキリスト教化してますから。

Re: 神慈秀明会 建築屋

2024/02/04 (Sun) 05:36:08

・神としての明主様を信仰する
・メシヤとなられるための御事績を見本とし求めて行く
求め方にはこの両方があると思いますが

私は2008年6月14日に鋸山・天啓聖蹟に身を置きましたが、全員が碑に向かって天津祝詞を奏上されるので、自分だけ東京湾を背に九十九里の方に向かい奏上しました。
その後全員に確認しましたが、夜昼転換を実感出来たのは自分だけだったようです。
※翌年から「おひかり」が要らなくなりました。

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/02/03 (Sat) 21:46:02

>「瑠璃色は深い青色で東方の青い光の世界を意味し 仏界における東方の光の型である。
夜の世界において、民の病気を薬をもって救おうとした薬師如来。
そして日光菩薩(日)と月光菩薩 (月)を従える 薬師如来。
まさに明主、、光明如来。」
説得力がありますね。

私はここは 詳しくないんですが、これは御教えにあるんですか?

Re: 神慈秀明会 - ひみつべえ

2024/02/03 (Sat) 07:03:39

>瑠璃山という名称は日本寺の御本尊の薬師瑠璃光如来からの由来なので仏界を意味するのではないかと思いました。
瑠璃山=薬師瑠璃光如来とするなら、日輪山=日光菩薩、月輪山=月光菩薩で薬師三尊来迎の姿なのでしょう。

薬師如来=観世音菩薩=伊都能売神。薬師瑠璃光如来のいる「東方瑠璃光世界」。瑠璃色は深い青色で、「東方の青い光の世界」を意味し、仏界における「東方の光」の型である。夜の世界において、民の病苦を薬をもって救おうとした薬師如来。そして日光菩薩(日)と月光菩薩(月)を従える薬師如来。まさに明主・・・光明如来。

東方瑠璃光世界が冷たい青き月光の強い「日本の夜の世界(仏界)の型」とすれば、昼の世界では、熱い日光が強くなる。それは、世界中を何色の光で照らすのかな・・・。

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/02/03 (Sat) 01:01:34

>畏れ多くて、 鋸山遥拝はできない。

私は詳しくは「楽苑」「秀明紙」を見てないので、
これは私が入信する以前のことだから、それで感想としては、

当時、世界救世教から離脱した秀明教会は、明主様信仰を取り戻すとして、

強い決意で臨まれ小山先生は鋸山遥拝をされた。

そして、その下見に東京支部の神谷さんが現地に行った。そこで関谷さんが話しかけてきた。

不思議ですよね。
また私が神谷さんと出会ったのも、それによって今これを掲示板で明主様信仰される人に知らせているので、これも御神意だと思います。

でないと、ずっと誤った場所を知らずに行かれると思うから、

昼の世界は誤りが正される世界だと思います。

それで以前 世界救世教いづのめ教団 杉原理事長が来られ、お話をされていたのが、
❲天の岩戸開き❳
(御教え)
『今度 いよいよ 光明世界になるのは、 天照皇大御神が出現になられる 岩戸開きがあるのであります。

昭和6年6月15日私が房州日本寺に天照皇大御神をお迎えに、大勢の信者さんをお供にして参詣に行ったのであります。
この時大神様が霊界へご出現になられたのであります。

❲日枝神社へご鎮座❳
昭和9年6月15日に私は御神命により 麹町の山王様すなわち、日枝神社へ 30何人のお供を連れて御参詣しまして、天照皇大神様を御鎮祭、

一同で祝詞を奏上いたしました。
これは日枝神社に天照皇大神様が御鎮まりまりになられたのでありますが、
霊的のことでありますから神官すら知らんことであります。』(観音講座、第六講座、昭和10年)
と理事長は説明されました。
この鋸山遥拝で、天から主神(表現神)が明主様 のもとに降りてこられ、明主様はその
お迎えに行かれた。
その御霊が麹町の日枝神社に御鎮座されたとおっしゃって、この大神様が後に、明主様が留置された時に魂に宿られた神様であるとおっしゃったので
明主様が『神人合一』をされたきっかけが6月15日であると話され、
深い洞察をされていると思いました。
話はちょっと外れましたが、

鋸山遥拝はこういう意味があるのだと知りました。

そして、大神様は霊界にご出現とありますから、まだ現界にはご出現されていない。

そこで借り住まいとして日枝神社にお鎮まりになられ時を待たれた。

そして明主様が留置場された時に、お腹に宿られた。

これが現界に御出現された型なのかも知れませんね。


Re: 神慈秀明会 - minoru

2024/02/03 (Sat) 00:25:03

>瑠璃山が仏教を意味するのか 、これは知りません、
瑠璃山という名称は日本寺の御本尊の薬師瑠璃光如来からの由来なので仏界を意味するのではないかと思いました。

>明主様は日本寺の有様を仏滅の型だと捉えながら登って行かれたという点。
この部分を下記のように訂正します。
仏滅の型ではなく、仏界の型だと捉えながら登って行かれたという点。

御教えによれば、その後、昭和18年11月に寺が火災を起こし跡かたもなくなったという記事をご覧になり、仏滅の型だとお感じになったとの事です。

そして「明主様と先達の人々」のp83、84にありますが、明主様に同行した清水清太郎先生の記憶を頼りとして建立場所を決めたとの事ですが、どうなのでしょうね。

まあ、個人的な意見としてですが、実際に明主様が天啓を受けられた貴重な場所に自分が立って祝詞を奏上したいという気持ちが無いのですよ。
何か、畏れ多い行為ではないかと。

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/02/01 (Thu) 18:02:18

私は鋸山に登ったこともないし、あまり詳しいことは知らないんですが、

たまたま 布教で来られた 助教師が 神谷さん(70前後)で、あの人と1ヶ月東京の北千住にいたもんですから、
覚えていたと思うんです。

それで日輪山に救世教の「天啓聖跡」の碑があるんですかね。

それで客観的に見たら、明主様が 遥拝されたのが瑠璃(るり)山で、日輪山ではない。

瑠璃というのは高貴な色だと聞いたことがあります。(秀明の聖教書は瑠璃色)
それは月輪山は月だから、仏教というのは分かります。

瑠璃山が仏教を意味するのか 、これは知りません、

そうだとして日は、太陽だから神様であるとして、日輪山が正しい これはあなたのおっしゃる通り。

ここで一番大切なのは、明主様が何をされたかだと思います。

そこで、
明主様が 瑠璃山で遥拝をされた。

そうしたら、その場所が「天啓聖跡」であると思うんですね。

それで 秀明信者は別として、他の離脱教団も 「天啓聖跡」を 遙拝する人もいると思うんです、

そこが誤った場所であると知らないで 遙拝して当時をしのぶ、

それで 今度 新健康協会の鋸山に行きたいと言った人に、
鋸山「天啓聖跡」の碑のある所ではなく、

瑠璃山の一番高いところが、遥拝されたとこだと教えようと思います。
瑠璃山はあらかじめ確認して、登ったらいいと伝えようと思います。

秀明の当時の新聞に、瑠璃山頂で信者たちが遥拝している写真が載っています。

Re: 神慈秀明会 - minoru

2024/02/01 (Thu) 14:22:07

私も実際の場所とは異なるという話を知人から聞いた事があります。
しかしながら、その関口さんのお話の内容から察すると天啓聖蹟の碑がある場所で合っているのではないかと感じました。

その理由として、
明主様は日本寺の有様を仏滅の型だと捉えながら登って行かれたという点。
日輪山、月輪山、瑠璃山の中で、夜明け、つまり太陽というイメージに一番ふさわしいのは日輪山だと思える点。
月輪山、瑠璃山は夜の世界や仏界をイメージしますね。

Re: 神慈秀明会 - 一番

2024/02/01 (Thu) 09:11:32

続き
違う場所に 記念碑を建てたなら その説明をしたものを併設するべきで、

何百メートル先が、 本来のところであると、

知らない人はそこが、本当と思って 皆そこに行ったと、書いてありますね。
そういうところ、誠がないですよね。
だから 本来は立てるべきではなかった。お許しがなかった。

強引にやったですね。
本当に誠があるなら、神様がなんとかされると想像しますね。
私は神慈秀明会の信者ですから、そこで考えたら、秀明は絶対にそんなことはしませんね。

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