真理の上中下 - 一番
2024/07/15 (Mon) 12:46:42
抜粋、 すべて苦しみは 浄化です。 それで霊の曇りが取れるのです。
そこで今までの宗教での難行苦行というのが その方法なのです。
普通世間で苦しむのは、やむを得ずなるのです。 苦しみの方がぶつかってくるのです。
ところが難業苦行というのは自分で一生懸命 苦しむのです。 それでも魂が磨けるのです。
それで バラモン教の方は苦しんで悟りが開けると言っているのですが、苦しんで悟りが開けるということは、曇りが無くなると悟りが開けるのです。
つまり 曇りがないから、物事がよく分かるのです。すると悟りが開けるということは、物事が分かることです。
つまり 真理が分かるわけです。
けれども 真理もいろいろあるのです。
やっぱり 上 中 下があります。
みんなが真理と思っているところがごく下の真理というのが多いです。 それで 前よりも魂が浄まるのです。
迷いが少なくなってくる、判断力が出てくる。 しかし 迷いというものは全然なくなるということはないのです。
どんな偉い人でも、私でもあります。 ただ迷いがなくなるのが早いのと遅いのとの違いです。
(御教え集15号、昭和27年11月)
それで 見真実というものは、 一番高いところですから、 そこで全てを見下ろすから はっきり分かるのです。
結局この見真実を分からせる為に私が色々説いているのです。
要するに 信仰の目的 は早く見真実になることです。
そうすると、いろんな事がよく分かります。けれども本当に 見真実には普通では中々なれないのです。
だからそれに近寄れば良いのです。
ところで 釈迦やキリストも見真実にはなったが、見真実にも 上中下があって、
中位の見真実だったのです。
その先は分からなかったのです。
またあの時代には分かってはいけなかったので、 時期が早すぎたのです しかし今はもう、分からなければならないのです。
本当に地上天国を造るのですから、それには人間の主だった人達に、
ある程度は見真実を分からせねばならないのです。
(御教え集32号、昭和29年4月)
(私たちは中と下で会話してますよね 普段は、
みろくの御世に住む住民は 上の立場で会話する人の集まりとあります。
そこを基本に置いていたら、 少々 喧嘩してもすぐ収まると思いますね。)
Re: 真理の上中下 - 一番
2024/08/15 (Thu) 10:42:46
神慈秀明会で霊が見えるのは良くないと習いましたが。
全部ではないんですね。
御垂示録、昭和26年
では、
(教会の信者が亡くなる時 火の玉が枕元に参ります)
『それはそれが人魂というものです。 あなたのところに暇乞いに来るんだ。』
(誰にでも見えないというので、)
『そうでもないですよ。 見える人もありますよ。 刹那的にちょっと見えますね。』
『それは良いんですよ。つまり 必要なだけ見せられるというのは良いんです。不必要に見えるというのはいけない。狐とか、なんだからね。あなたのは良いんですよ。』
(動物霊で御魂が低いからと言われまして。)
『違いますよ。 分からないのでね。
動物霊で見えることが多いので、差別を知らないからです。』
とお言葉があります。
判別するというのをおっしゃってますね。
Re: 真理の上中下 - 一番 URL
2024/08/07 (Wed) 02:46:13
あーすいません、確か これは介護している老人に薬を飲ませて、亡くなるのを待つか、何も食べさせないで亡くなるのを待つか、どちらが罪が重いか?
で、なかったかと思います。
これも御垂示録にあったと思います。
Re: 真理の上中下 - 一番 URL
2024/08/06 (Tue) 12:03:55
御教えの解釈で面白いと言ったら申し訳ないんですが、
昭和26年、「御垂示録」
(お伺い)「化学肥料で良いと思ってやっているのは大きな罪になりますでしょうか」
(御垂示)
『良いと信じてやるのと、悪心でやるのは違いがある。
そこは神様は公平である。
やった行為は悪いから、地獄に行きます。
ただし、そういう地獄の苦しみは少ないんです。
短いんです。それから 悪心でやったやつは長いんです。』
とあります。
こっちの判断のし方で、微妙に違ってくる。
以前、 毒を盛って嫌な人間を殺めるのと、薬を飲ませて死ぬのを待つのは、どちらが悪いかと、ありましたね。
どういうお答えが出たのでしょうか?
(少し 表現は違うかもしれませんが)