天照皇大神5 - 一番
2024/10/30 (Wed) 09:00:27
皇室の先祖は天照皇大神、
主神は天照皇大神様として地上に現れ、それから人間として現れ、
それが 明主様ですね。
その
天照皇大神様が天照天皇とあるから、
皇室の先祖は明主様になる。
これは誰も知らない事でしょうね。
Re: 天照皇大神5 - 一番
2025/02/17 (Mon) 11:02:49
御教え『光への道』の中で、運命の転換として、昭和16年神社仏閣に行かれ、神々と霊的交流をされたとあります。
(御教え)
抜粋、『それから閑(ひま)があるうち と思い関東方面各地に旅行することとなったが、
これは経綸上重大意義のあることで、
神様がそうされたことは勿論で、
少なからず奇跡もあったので、その中の差支えないものだけ書いてみよう。
昭和16年5月渋井氏以下数人の信徒を伴(とも)に連れ、丹波の元伊勢神宮へ参拝に行ったのである。(中略)
それはこの参拝から1ヶ月あまり経た7月1日、私は中島氏以下数人を従え、*伊勢山田の皇大神宮へ参拝に行った。
(中略)
今一つ こういうことがあった。16年6月22日、渋井氏以下はじめ十数人を従え、茨城県霞ヶ浦の*鹿島、*香取の二神宮へ参拝した。(後略)』
これは2024年10月10日、東山寿人さんの投稿。
出口王仁三郎玉言集、「新月の光」鹿島と香取の神より(昭和20年2月15日)から、抜粋、
「こんなこと言うと不敬と言うけれども、日本全国の神様で鹿島、香取の神様は偉い竜神様が、お守りになっているが、その他は皆枝の神様で一つも今度の御用に役立つ 神様はいない。」とある と紹介してますね。
要の神様なのでしょうね。
日本歴史研究の田中秀道先生が監修する(ルネサス)本に、「考古学から神話を見直す」
として紹介されてました。
抜粋、
「面白いのが天皇家に由来する神宮の存在だ。実は 江戸時代まで天皇家と関係する神社は伊勢神宮(三重) 鹿島神宮(茨城) 香取神宮(千葉)の3つしかなかったのだが、その2つまでが関東にあるのだ。
しかも 両神宮は伊勢神宮の創建より600年以上も古く、さらに利根川を挟んで相対する近さにある。
なぜ近畿地方にあった大和王朝ゆかりの神社が2つも関東にあるのか?
それは天皇家がもともとその辺りを、 治めていたからではないか?
神話では神々が住む場所は「高天原」として描かれた。
その神々の末裔が天皇家だとされるが、驚くことに鹿島神宮の近くには「高天原」という地名が3つも残っている。(後略)」
神々の「高天原」として明主様はいかれたのか。
昼の世界、中心となりお働きになってられるのか。
Re: 天照皇大神5 - 一番
2025/01/12 (Sun) 04:16:26
古事記、日本書紀が書かれて、神話には 天照大神の姉と素戔嗚尊、弟の争いで、負けた姉が岩戸隠れをしたと書いてありますね。
今日までそれを信じてきましたが、
正統 竹内文書 では、 ここには 天照軍、大和族と素戔嗚軍、出雲族の戦いがあったと、
そして、大和族が、敗北して、天照天皇が、素戔嗚から殺害されたと書いてあると YouTube で紹介してました。
つまり 天照天皇は存在したということ。
どうしても、天照大神は女性であるは知られてますが、なぜそうなのかが知られてない 。
これは当時 日本が世界を支配していた。そこに渡来族が戦争を仕掛けて来た、占領した。大和民族は平和主義者だったので簡単に負けた。
ここを隠したわけですね。
今の日本は本当の日本ではないと、
九鬼文書では 出雲天皇というのが書いてあります。
出雲が皇室に入ってきた。
御教え「光への道」の中に、明主様が 伊勢神宮に参拝されます。
その中でこれまで、伊勢におられたのが、素戔嗚尊(出雲族)で、素戔嗚が皇室も支配していた。
明主様が天照大神と伊勢に行かれたことで、素戔嗚は朝鮮に帰って行きます。岩戸が開いた。
では、どうして素戔嗚尊が伊勢神宮で天照大神として鎮座していたのか、
これが 出雲族が大和を攻略して、今日まで、占領していたということ、
当時 侵略戦争があったというのが分かる。
Re: 天照皇大神5 - 一番
2024/11/03 (Sun) 10:59:12
イスラエルはユダヤが祖と、また12の流れは素戔嗚尊とありますか、
また
素戔嗚尊は朝鮮の祖、
その前に天孫(中国)に盤古神王がおられた?
ここがまだ理解出来てません。
今日は、メシヤ様御神影参拝、
会長講話、
佐藤先生お陰話
中
元都知事後藤新平言
金残すは下、仕事残すは中、人残すは上は、心に残った。
Re: 天照皇大神5 - 一番
2024/10/31 (Thu) 10:57:22
通りすがりさんでしたか
>明治天皇は神武天皇の前世と。
これに御教えで
『抜粋、
それで、イスラエルの流れと言いますが、イスラエル民族の12の流れというのは、12の種族になったわけです。
それで、その1種族だけが東に向かって行って、行方不明になったという事があるのですが、
1種族が東に行ったという事は支那(しな、中国)に行ったのです。
そうして、漢民族、漢の英雄になって、それが日本に渡ってきたのです。
それが、瓊々杵尊(ににぎのみこと)なのです。
その孫さんが*神武天皇です。
*日本は今までそれが統治していたのです。
そうして、そのイスラエルというのはユダヤの祖先だからそこで、日本というのはユダヤの系統だという説もあるのです。
木村高太郎という人はそういう説を唱えていたのです。
やはり、それは神様の経綸なのです。』
御垂示録(昭和27年)
神武天皇は中国から渡来したと書かれてます。
もし 明治天皇が瓊々杵尊の子孫である、神武の前世としたら、
瓊々杵尊は天若彦の子孫と御教えがありますから、
国常立尊(大和民族)を艮に押し込めた張本人の子孫、罪は重い。
天皇が地獄に落ちているという御教えは、ここにある。
今までの天皇は天孫(中国)系と書かれてます。
Re: 天照皇大神5 - 一番
2024/10/30 (Wed) 11:30:01
世界救世教いづのめ教団、「いづのめ誌」抜粋、
(御教え)
『今までの世界というのは月の世界 夜の世界だったからして、月が出ている間は太陽が地球の裏側になって、暗闇になっていたというのが、
今度いよいよ 太陽が出て、月の夜が隠れてしまう。
そこで昼の民族というのが大和民族です。
大和民族の中心というのが私です。』
(御教え集15号、昭和27年10月16日)
「昭和6年6月15日 千葉県 鋸山山頂において『夜昼転換』の啓示を受けられた。
この時はその啓示を受けられただけではなく 「霊界の夜昼転換」によって霊界に出現された『太陽神』である
『天照皇大神』の御神霊を明主様がお迎えに行かれたという神事行であった。
(中略)
昭和9年5月1日を期して、「応神堂」を開設され、家族と離れてお一人で移られた。
玄関に「岡田式神霊指圧療法」と書いた看板を掲げ、 浄霊法を公開されるとともに、開業ビラを配られたのである。
御神体は『天照皇大神』の御書であった。」
(浄霊法の変遷)平本伸一から