明主様 一つの波紋3

465271
明主様

一つの波紋3

明主様信仰者の投稿から始まった『一つの波紋掲示板』の3代目。
信仰・思想の枠を超えた交流場所になりますように。

投稿の表示順について
各話題(スレッド)の一番上には作成時の投稿(一番古い)ものが来ます。
その次には、一番新しい投稿が来て、その次は二番目に新しい投稿・・・一番最後が最初の返信投稿(二番目に古い)が来ます。
新しい返信投稿があるたびに、それは上から二番目に配置され、今までの返信投稿は順に下がっていきます。

初代掲示板のアーカイブの見方
↓の『ワード検索』で『波紋掲示板(その1)のアーカイブです』と検索する
2代目掲示板のアーカイブ
https://jbbs.shitaraba.net/study/13427/

天照皇大神5 - 一番

2024/10/30 (Wed) 09:00:27

皇室の先祖は天照皇大神、
主神は天照皇大神様として地上に現れ、それから人間として現れ、
それが 明主様ですね。
その
天照皇大神様が天照天皇とあるから、

皇室の先祖は明主様になる。
これは誰も知らない事でしょうね。

Re: 天照皇大神5 - 一番

2025/02/17 (Mon) 11:02:49

御教え『光への道』の中で、運命の転換として、昭和16年神社仏閣に行かれ、神々と霊的交流をされたとあります。
(御教え)
抜粋、『それから閑(ひま)があるうち と思い関東方面各地に旅行することとなったが、

これは経綸上重大意義のあることで、
神様がそうされたことは勿論で、

少なからず奇跡もあったので、その中の差支えないものだけ書いてみよう。
昭和16年5月渋井氏以下数人の信徒を伴(とも)に連れ、丹波の元伊勢神宮へ参拝に行ったのである。(中略)

それはこの参拝から1ヶ月あまり経た7月1日、私は中島氏以下数人を従え、*伊勢山田の皇大神宮へ参拝に行った。
(中略)
今一つ こういうことがあった。16年6月22日、渋井氏以下はじめ十数人を従え、茨城県霞ヶ浦の*鹿島、*香取の二神宮へ参拝した。(後略)』

これは2024年10月10日、東山寿人さんの投稿。
出口王仁三郎玉言集、「新月の光」鹿島と香取の神より(昭和20年2月15日)から、抜粋、
「こんなこと言うと不敬と言うけれども、日本全国の神様で鹿島、香取の神様は偉い竜神様が、お守りになっているが、その他は皆枝の神様で一つも今度の御用に役立つ 神様はいない。」とある と紹介してますね。
要の神様なのでしょうね。

日本歴史研究の田中秀道先生が監修する(ルネサス)本に、「考古学から神話を見直す」
として紹介されてました。
抜粋、
「面白いのが天皇家に由来する神宮の存在だ。実は 江戸時代まで天皇家と関係する神社は伊勢神宮(三重) 鹿島神宮(茨城) 香取神宮(千葉)の3つしかなかったのだが、その2つまでが関東にあるのだ。

しかも 両神宮は伊勢神宮の創建より600年以上も古く、さらに利根川を挟んで相対する近さにある。

なぜ近畿地方にあった大和王朝ゆかりの神社が2つも関東にあるのか?

それは天皇家がもともとその辺りを、 治めていたからではないか?
神話では神々が住む場所は「高天原」として描かれた。
その神々の末裔が天皇家だとされるが、驚くことに鹿島神宮の近くには「高天原」という地名が3つも残っている。(後略)」

神々の「高天原」として明主様はいかれたのか。

昼の世界、中心となりお働きになってられるのか。

Re: 天照皇大神5 - 一番

2025/01/12 (Sun) 04:16:26

古事記、日本書紀が書かれて、神話には 天照大神の姉と素戔嗚尊、弟の争いで、負けた姉が岩戸隠れをしたと書いてありますね。

今日までそれを信じてきましたが、
正統 竹内文書 では、 ここには 天照軍、大和族と素戔嗚軍、出雲族の戦いがあったと、

そして、大和族が、敗北して、天照天皇が、素戔嗚から殺害されたと書いてあると YouTube で紹介してました。

つまり 天照天皇は存在したということ。

どうしても、天照大神は女性であるは知られてますが、なぜそうなのかが知られてない 。

これは当時 日本が世界を支配していた。そこに渡来族が戦争を仕掛けて来た、占領した。大和民族は平和主義者だったので簡単に負けた。

ここを隠したわけですね。
今の日本は本当の日本ではないと、

九鬼文書では 出雲天皇というのが書いてあります。
出雲が皇室に入ってきた。
御教え「光への道」の中に、明主様が 伊勢神宮に参拝されます。
その中でこれまで、伊勢におられたのが、素戔嗚尊(出雲族)で、素戔嗚が皇室も支配していた。
明主様が天照大神と伊勢に行かれたことで、素戔嗚は朝鮮に帰って行きます。岩戸が開いた。
では、どうして素戔嗚尊が伊勢神宮で天照大神として鎮座していたのか、

これが 出雲族が大和を攻略して、今日まで、占領していたということ、

当時 侵略戦争があったというのが分かる。

Re: 天照皇大神5 - 一番

2024/11/03 (Sun) 10:59:12

イスラエルはユダヤが祖と、また12の流れは素戔嗚尊とありますか、
また
素戔嗚尊は朝鮮の祖、

その前に天孫(中国)に盤古神王がおられた?
ここがまだ理解出来てません。
今日は、メシヤ様御神影参拝、
会長講話、
佐藤先生お陰話

元都知事後藤新平言
金残すは下、仕事残すは中、人残すは上は、心に残った。

Re: 天照皇大神5 - 一番

2024/10/31 (Thu) 10:57:22

通りすがりさんでしたか
>明治天皇は神武天皇の前世と。

これに御教えで

『抜粋、
それで、イスラエルの流れと言いますが、イスラエル民族の12の流れというのは、12の種族になったわけです。

それで、その1種族だけが東に向かって行って、行方不明になったという事があるのですが、

1種族が東に行ったという事は支那(しな、中国)に行ったのです。
そうして、漢民族、漢の英雄になって、それが日本に渡ってきたのです。

それが、瓊々杵尊(ににぎのみこと)なのです。

その孫さんが*神武天皇です。

*日本は今までそれが統治していたのです。

そうして、そのイスラエルというのはユダヤの祖先だからそこで、日本というのはユダヤの系統だという説もあるのです。
木村高太郎という人はそういう説を唱えていたのです。
やはり、それは神様の経綸なのです。』
御垂示録(昭和27年)

神武天皇は中国から渡来したと書かれてます。

もし 明治天皇が瓊々杵尊の子孫である、神武の前世としたら、

瓊々杵尊は天若彦の子孫と御教えがありますから、
国常立尊(大和民族)を艮に押し込めた張本人の子孫、罪は重い。

天皇が地獄に落ちているという御教えは、ここにある。
今までの天皇は天孫(中国)系と書かれてます。

Re: 天照皇大神5 - 一番

2024/10/30 (Wed) 11:30:01

世界救世教いづのめ教団、「いづのめ誌」抜粋、
(御教え)
『今までの世界というのは月の世界 夜の世界だったからして、月が出ている間は太陽が地球の裏側になって、暗闇になっていたというのが、

今度いよいよ 太陽が出て、月の夜が隠れてしまう。

そこで昼の民族というのが大和民族です。
大和民族の中心というのが私です。』
(御教え集15号、昭和27年10月16日)

「昭和6年6月15日 千葉県 鋸山山頂において『夜昼転換』の啓示を受けられた。
この時はその啓示を受けられただけではなく 「霊界の夜昼転換」によって霊界に出現された『太陽神』である

『天照皇大神』の御神霊を明主様がお迎えに行かれたという神事行であった。
(中略)
昭和9年5月1日を期して、「応神堂」を開設され、家族と離れてお一人で移られた。
玄関に「岡田式神霊指圧療法」と書いた看板を掲げ、 浄霊法を公開されるとともに、開業ビラを配られたのである。
御神体は『天照皇大神』の御書であった。」
(浄霊法の変遷)平本伸一から

名前
件名
メッセージ  絵文字 絵文字 絵文字 動画
画像
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.